2012-02-12

慈しみの心(1)

ダンマジョーティ長老 法話


この法話は、マレーシア出身、香港在住のダンマジョーティ長老が、2010年、東京ゴータミー精舎に滞在中、青年部の方々にたいして英語で説かれた法話を通訳したものです。


 今日は「慈悲」について簡単にお話しいたます。
 一般的に「慈悲」と言われますが、実際は 「慈悲喜捨」の4つです。4つはそれぞれ質が異なり、区別されています。

 慈は「幸せであってほしい」と慈しむ気持ち
 悲は「苦しみがなくなってほしい」と憐れむ気持ち
 喜は「他者の成功を喜ぶ」気持ち
 捨は「落ち着きや平静な心」のことです。

 慈悲喜捨は、感情を清らかにした幸福の状態です。
 この慈悲喜捨の4つの中の1つ、たとえば「慈」(慈しみ)だけでも完全に理解して実践するなら、他の3つ(悲・喜・捨)も理解することができるのです。
 慈しみは仏教の道徳(戒)の基本です。私たちは五戒を守っています。その一つに、「殺生しない」とありますが、皆さんはなぜ殺生しないのでしょうか? なぜこの戒律を守るのでしょうか? 仏教徒だからですか? 先生がやりなさいと言ったからですか?

 五戒は、仏教徒だからとか、先生がやりなさいと言ったから守るものではありません。大事なことは、自分の心で「他の生命が苦しんでほしくない、幸せであってほしい」と感じ、その心から戒律を守るべきなのです。

 戒律を守るときに最も大事なことは、「他人に言われたからやる」というような外的なものではなく、自分の心の中から守ろうとすることが大事なのです。

 ここで、仏教の道徳と他の社会や宗教の道徳の違いがわかると思います。仏教の道徳は、慈しみが基本になっています。

 母親に慈しみがあるなら、その母親にたいして、「このように子供の面倒をみなさい」とか「このように世話をすべきです」などと子育ての方法を教える必要はありません。
 何をすべきか、どうすれば子供をよく育てられるのかを、慈しみのある母親なら知っているのです。
 心から「子供が苦しんでほしくない。幸福であってほしい。自分も苦しみたくないし、幸福でありたい」と願うなら、自ずとどのように行動すべきかということが分かるのです。

 したがって、戒律を守るのは先生が言ったからとか、経典や本に書いてあるから、伝統だから、お釈迦様が教えたから守るのではなく、「自分と他の生命が幸福であってほしい」と願う心があるから守るのです。この心があれば、どのように生きるべきかが分かりますし、そのとき戒律に基づいた生き方ができるでしょう。

 現代のテーラワーダ仏教では、慈しみの重要性がだんだん落ちてきている傾向があります。多くの人は仏教の大学へ行き、テストに合格するために勉強し、知識を得ることを強調しすぎているように思います。もちろん、知識を得ることは大事です。でも、ここで注意しなければならないのは、知識と智慧は別のものだということです。智慧は最も大事なもので、仏教の大きな特徴です。智慧がなければ、解脱はできません。しかし智慧は、経典や仏教の本を読んだり、知識を得たり、話し合いをしても、得られないのです。

 といっても、私たちのような凡人のレベルでは、知識的な理解も必要です。凡人のレベルでは、知識的な理解も重要なのです。
 私たちは瞬間瞬間、判断して生きていなければなりません。たとえば皆さんは今日、お寺に来るという選択をしました。他のところには行きませんでした。その選択は大部分が知識的な理解に基づいているのです。
 知識は解脱の段階では必要ありませんが、仏教を実践するための基本的な知識は必要なのです。

 翻訳/通訳: 出村佳子