両親は梵天であり、最初の先生であり、尊敬するに値する人である。
賢者は 両親を尊敬し、食べ物と飲み物をさしあげ、
服を着させ、寝させ、身体と足に油を塗り、洗ってあげる。
このように両親に仕える賢者は
この世で称賛され、死後 天界におもむく。
2011/01/09
2011/01/08
食べるときの瞑想
「食べること」は 私たちの日常生活の中の一部になっています。
おいしいから食べる、健康にいいから食べるというだけでは、
智慧は育ちません。
テーラワーダ仏教では、
食べることも 心を育てる修行の一つとして教えています。
まず、食べ物を見たとき、「見えた」 と確認してください。
お椀を持つときには 「持ちます」、
お箸で食べ物をとるとき 「とります」、
口に運ぶとき 「運びます」、
口をあけるとき 「あけます」、
口に入れたとき 「入れました」、
かむとき 「かみます」、
のみこむとき 「のみこみます」 などと確認します。
このように、食べることの一つ一つの行為を確認することで、
智慧が現われるでしょう。
シンガポールの長老より
おいしいから食べる、健康にいいから食べるというだけでは、
智慧は育ちません。
テーラワーダ仏教では、
食べることも 心を育てる修行の一つとして教えています。
まず、食べ物を見たとき、「見えた」 と確認してください。
お椀を持つときには 「持ちます」、
お箸で食べ物をとるとき 「とります」、
口に運ぶとき 「運びます」、
口をあけるとき 「あけます」、
口に入れたとき 「入れました」、
かむとき 「かみます」、
のみこむとき 「のみこみます」 などと確認します。
このように、食べることの一つ一つの行為を確認することで、
智慧が現われるでしょう。
シンガポールの長老より