2026/03/14

忙しくしすぎない(appakicco)『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

  

⑨忙しくしすぎない(appakicco)」より


頭のなかもシンプルに


また、何もしていないのに頭のなかであれこれ考えて忙しくしている人もいます。


すべきことにあまり身を入れず、人生をよりよいものにしようともしていないのに、ただ「あれをしなければ、これをしなければ」と考えて、頭のなかだけで忙しくしているのです。



日常生活であれ、頭のなかであれ、ブッダは「忙しすぎることは善行為をする妨げになる」とおっしゃいました。



もし、「善行為をするのに忙しい」と言うなら、それは悪いことではありません。



ただ、その場合でも、執着しないよう気をつけなければなりません。



執着することなく淡々と善行為をしていれば、そのときは忙しいというよりも、心に喜びや充実感を感じるでしょう。


「ブッダが説いた〈15の善い習慣〉
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2026/02/28

老いるもの・老いないものとは?『涅槃への道を妨げるもの:老いない経(ナジーラティ・スッタ)』より

 



続けて、ブッダはこのように説かれました。


Rūpaṃ jīrati maccānaṃ,

nāmagottaṃ na jīrati;

 

肉体(色:rūpa)は老い、

名姓(名:nāma)は老いません。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


何が老いて、何が老いないのか?


私たちはみな肉体を持っています。

この肉体は、生まれたときから徐々に老いて、衰え、やがて滅びます。

生命は死すべきもの(mortal)であり、例外なく死ぬのです。

これが生命の本質です。


一方、生きているあいだ、道徳的で、善いおこないをし、

社会や世の中に多大な貢献をしているなら、その人の名と姓は死にません。

老いることも、滅びることもありません。

たとえばブッダがよい例ですね。

肉体は2550年以上も前に滅びましたが、名前とブッダが説かれた真理の教えは、現代になっても生き続けているのです。


このように、ブッダは「老いるもの」とは肉体であり、「老いないもの」とは名と姓である、と説かれました。


涅槃への道を妨げるもの『老いない経(ナジーラティ・スッタ)』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2026/02/21

自分の長所を活かす『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

 


 人はみな、ひとりひとり違います。


ですから他人と比べても、意味がありません。


比べるのではなく、

自分の長所や得意なこと、

誰かの役に立てることを見つけて、

それを活かしていきましょう。


そうすれば、何かしら幸せを感じ、

慈しみが育っていくでしょう。


自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā