人はみな、ひとりひとり違います。
ですから他人と比べても、意味がありません。
比べるのではなく、
自分の長所や得意なこと、
誰かの役に立てることを見つけて、
それを活かしていきましょう。
そうすれば、何かしら幸せを感じ、
慈しみが育っていくでしょう。
生きとし生けるものが幸せでありますように・Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitatthā
人はみな、ひとりひとり違います。
ですから他人と比べても、意味がありません。
比べるのではなく、
自分の長所や得意なこと、
誰かの役に立てることを見つけて、
それを活かしていきましょう。
そうすれば、何かしら幸せを感じ、
慈しみが育っていくでしょう。
第6章 害をもたらす感情「五蓋」の対処法
五蓋のたとえ
⑤「疑」は砂漠で迷っているようなもの
疑(vicikicchā)とは、疑いや迷いのことです。
「疑」のある人は、砂漠で迷子になっている人のようなものです。
砂漠には目印がありません。自分の位置を示すコンパスがないと、どの方向に進めばよいかわかりませんから迷ってしまいます。
「疑」とはこのようなものです。「この道は本当に正しいのか……」「間違っているのではないか……」「あっちの道のほうが正しいのではないか……」などと心が揺れ動き、優柔不断になっている状態です。
これはちょうど砂漠で迷子になっているようなものなのです。
『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
ありのままに見る智慧』より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)
『第5章 やすらぎをもたらす「正語」とは?』より
沈 黙
言葉の側面のひとつ「沈黙」についてお話いたしましょう。
私たちはときどき沈黙の中で過ごすことが大切です。口数が多いことはよいことではありません。なぜでしょうか?
・選択できる
まず、いつも誰かと話していると、こころが落ち着かないからです。
つい余計なことを口走ったり、相手の気持ちを傷つけたり、誰かの悪口を言ったり、うわさ話をしたりする恐れがあるのです。
また、自分をよく見せたい、自慢したい、認められたいがために、話を誇張したり、嘘をついたりする可能性もあります。これは善い行為ではありませんね。
ですから、話さなくてはならない用がないかぎり、沈黙を守ったほうがよいでしょう。
沈黙することで、こうした悪行為を避け、自分や他人を傷つけるのを防ぐことができるのです。
また、外部の情報に振りまわされることなく、自分のこころに耳を傾けることができるでしょう。
話すときは、無駄な言葉を減らし、本当に伝えたいことだけを的確に表現できるようになります。感情的な言動を避けられますから、よりよい人間関係を築くことができるでしょう。
「やすらぎをもたらす正語とは?」
『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂』より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】