2026/02/28

老いるもの・老いないものとは?『涅槃への道を妨げるもの:老いない経(ナジーラティ・スッタ)』より

 



続けて、ブッダはこのように説かれました。


Rūpaṃ jīrati maccānaṃ,

nāmagottaṃ na jīrati;

 

肉体(色:rūpa)は老い、

名姓(名:nāma)は老いません。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


何が老いて、何が老いないのか?


私たちはみな肉体を持っています。

この肉体は、生まれたときから徐々に老いて、衰え、やがて滅びます。

生命は死すべきもの(mortal)であり、例外なく死ぬのです。

これが生命の本質です。


一方、生きているあいだ、道徳的で、善いおこないをし、

社会や世の中に多大な貢献をしているなら、その人の名と姓は死にません。

老いることも、滅びることもありません。

たとえばブッダがよい例ですね。

肉体は2550年以上も前に滅びましたが、名前とブッダが説かれた真理の教えは、現代になっても生き続けているのです。


このように、ブッダは「老いるもの」とは肉体であり、「老いないもの」とは名と姓である、と説かれました。


涅槃への道を妨げるもの『老いない経(ナジーラティ・スッタ)』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2026/02/21

自分の長所を活かす『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

 


 人はみな、ひとりひとり違います。


ですから他人と比べても、意味がありません。


比べるのではなく、

自分の長所や得意なこと、

誰かの役に立てることを見つけて、

それを活かしていきましょう。


そうすれば、何かしら幸せを感じ、

慈しみが育っていくでしょう。


自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā

2026/02/15

「疑」は砂漠で迷っているようなもの:五蓋の対処法『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉』より

   

第6章 害をもたらす感情「五蓋」の対処法
五蓋のたとえ


⑤「疑」は砂漠で迷っているようなもの


疑(vicikicchā)とは、疑いや迷いのことです。


「疑」のある人は、砂漠で迷子になっている人のようなものです。


砂漠には目印がありません。自分の位置を示すコンパスがないと、どの方向に進めばよいかわかりませんから迷ってしまいます。


「疑」とはこのようなものです。「この道は本当に正しいのか……」「間違っているのではないか……」「あっちの道のほうが正しいのではないか……」などと心が揺れ動き、優柔不断になっている状態です。


これはちょうど砂漠で迷子になっているようなものなのです。


『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
 ありのままに見る智慧』
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


Sabbe sattā bhavantu sukhitattā