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2026/03/28

他人の人生を基準にしない『喜び〈Mudita〉ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる』より

    

第7章 喜びを感じる練習――日常生活の中で」より


他人の人生を基準にしない


嫉妬する人の多くは、「なぜ他人は幸せで、自分は不幸なのか」と考えがちです。


でも、人生は人それぞれで、同じ人生を送っている人はいません。みな異なります。これは美しいことでもあります。


もし、みながみな、それぞれの分野において同じレベルだったらどうでしょうか?


つまらないですし、社会は成り立ちませんね。


ですから、他人の人生を基準にして自分の人生を評価しないようにしてください。

比べたり判断したりするのをやめるのです。

 

なぜなら一見、成功しているように見えたとしても、その人がほんとうに成功しているのかどうか、ほんとうに幸せなのかどうかは、わからないからです。


若くして昇進しても、もしかすると責任が増えすぎてストレスを感じているかもしれません。

何かでトップになったとしても、プレッシャーにさいなまれ、悩んだり心配したりして夜眠れずにいるかもしれません。

他人のことはわからないものです。


そこで他人ではなく、自分自身に目を向けてください。

自分にできること、得意なこと、上手なこと、得ているもの、持っているものに目を向けるのです。

そして、それを活かしていくようにしてください。

他人と自分とを比べないとき、幸せを感じることができるでしょう。


喜び〈Mudita〉 ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放し方より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


Sabbe sattā bhavantu sukhitattā

2026/03/20

自分中心に見ない『ウペッカー〈こころの平穏〉偏見を超え、客観的に見る智慧』より

  

5 自分と他人を理解する


自分中心にものごとを見ない


まず、ものごとを自分中心にとらえないことです。

落ち着いて客観的に観察するようにしてください。

その力を養うことが大切です。


また、なんでもかんでも自分のこととして受けとるのをやめ、

必要なものだけを受けとるようにしてください。


世の中にはネガティブな情報や 役に立たない情報、

暴力的な情報もたくさんありますね。


あれもこれも自分のこころに引き入れて、

問題を増やさないよう気をつけてください。


『こころの平穏 - ウペッカー〈upekkhā〉
 偏見を超え、客観的に見る智慧』

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā

2026/03/14

忙しくしすぎない(appakicco)『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

  

⑨忙しくしすぎない(appakicco)」より


頭のなかもシンプルに


また、何もしていないのに頭のなかであれこれ考えて忙しくしている人もいます。


すべきことにあまり身を入れず、人生をよりよいものにしようともしていないのに、ただ「あれをしなければ、これをしなければ」と考えて、頭のなかだけで忙しくしているのです。



日常生活であれ、頭のなかであれ、ブッダは「忙しすぎることは善行為をする妨げになる」とおっしゃいました。



もし、「善行為をするのに忙しい」と言うなら、それは悪いことではありません。



ただ、その場合でも、執着しないよう気をつけなければなりません。



執着することなく淡々と善行為をしていれば、そのときは忙しいというよりも、心に喜びや充実感を感じるでしょう。


「ブッダが説いた〈15の善い習慣〉
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2026/02/28

老いるもの・老いないものとは?『涅槃への道を妨げるもの:老いない経(ナジーラティ・スッタ)』より

 



続けて、ブッダはこのように説かれました。


Rūpaṃ jīrati maccānaṃ,

nāmagottaṃ na jīrati;

 

肉体(色:rūpa)は老い、

名姓(名:nāma)は老いません。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


何が老いて、何が老いないのか?


私たちはみな肉体を持っています。

この肉体は、生まれたときから徐々に老いて、衰え、やがて滅びます。

生命は死すべきもの(mortal)であり、例外なく死ぬのです。

これが生命の本質です。


一方、生きているあいだ、道徳的で、善いおこないをし、

社会や世の中に多大な貢献をしているなら、その人の名と姓は死にません。

老いることも、滅びることもありません。

たとえばブッダがよい例ですね。

肉体は2550年以上も前に滅びましたが、名前とブッダが説かれた真理の教えは、現代になっても生き続けているのです。


このように、ブッダは「老いるもの」とは肉体であり、「老いないもの」とは名と姓である、と説かれました。


涅槃への道を妨げるもの『老いない経(ナジーラティ・スッタ)』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2026/02/21

自分の長所を活かす『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

 


 人はみな、ひとりひとり違います。


ですから他人と比べても、意味がありません。


比べるのではなく、

自分の長所や得意なこと、

誰かの役に立てることを見つけて、

それを活かしていきましょう。


そうすれば、何かしら幸せを感じ、

慈しみが育っていくでしょう。


自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā

2026/02/15

「疑」は砂漠で迷っているようなもの:五蓋の対処法『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉』より

   

第6章 害をもたらす感情「五蓋」の対処法
五蓋のたとえ


⑤「疑」は砂漠で迷っているようなもの


疑(vicikicchā)とは、疑いや迷いのことです。


「疑」のある人は、砂漠で迷子になっている人のようなものです。


砂漠には目印がありません。自分の位置を示すコンパスがないと、どの方向に進めばよいかわかりませんから迷ってしまいます。


「疑」とはこのようなものです。「この道は本当に正しいのか……」「間違っているのではないか……」「あっちの道のほうが正しいのではないか……」などと心が揺れ動き、優柔不断になっている状態です。


これはちょうど砂漠で迷子になっているようなものなのです。


『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
 ありのままに見る智慧』
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


Sabbe sattā bhavantu sukhitattā


2026/02/07

沈黙:やすらぎをもたらす「正語」とは?『正語〈正しい言葉〉―八正道➂ 』より


  

『第5章 やすらぎをもたらす「正語」とは?より

沈 黙


言葉の側面のひとつ「沈黙」についてお話いたしましょう。


私たちはときどき沈黙の中で過ごすことが大切です。口数が多いことはよいことではありません。なぜでしょうか?


・選択できる


まず、いつも誰かと話していると、こころが落ち着かないからです。

つい余計なことを口走ったり、相手の気持ちを傷つけたり、誰かの悪口を言ったり、うわさ話をしたりする恐れがあるのです。


また、自分をよく見せたい、自慢したい、認められたいがために、話を誇張したり、嘘をついたりする可能性もあります。これは善い行為ではありませんね。


ですから、話さなくてはならない用がないかぎり、沈黙を守ったほうがよいでしょう。

沈黙することで、こうした悪行為を避け、自分や他人を傷つけるのを防ぐことができるのです。


また、外部の情報に振りまわされることなく、自分のこころに耳を傾けることができるでしょう。


話すときは、無駄な言葉を減らし、本当に伝えたいことだけを的確に表現できるようになります。感情的な言動を避けられますから、よりよい人間関係を築くことができるでしょう。


「やすらぎをもたらす正語とは?
正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2026/01/24

2つの喜び『喜び〈Mudita〉ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放し方』より

   

第2章 2つの喜び」より


 「喜び」には種類がいくつかあります。

仏教では大きく分けると「ピーティ(pīti)」と「ムディター(muditā)」の2つです。



ピーティ(pīti)

 

まず、「ピーティ」から見ていきましょう。


「喜び」をあらわすパーリ語に「pīti」があります。ピーティは次のように3つに分けることができます。


①一般的な善い喜び

②一般的な悪い(不善の)喜び

③禅定の喜び


わかりやすく言うと、


①善い行為をしたときに感じる喜び

②悪い行為をしたときに感じる喜び

③禅定の喜び

です。


これとは別のタイプのものとして、本書のテーマである「ムディター」があります。

ムディターとピーティは異なるタイプの喜びなのです。


喜び〈Mudita〉 ー 他人の幸せを喜ぶ人は幸せになる:嫉妬の手放し方より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


Sabbe sattā bhavantu sukhitattā


2026/01/17

②継続力――精進覚支 Viriya-Sambojjhanga の栄養素『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉』より

  

「7つの悟りの要素〈七覚支〉」より


精進覚支(Viriya-Sambojjhanga)の栄養素


①始める努力、②継続する努力、③困難を乗り越える努力、これらが「精進覚支」を育てるために必要な要素です。

これら3つの要素をありのままに観察し(如理作意)、多く実践することによって、精進覚支が生まれます。

さらには完成へと導いてくれるのです。



②続ける努力(Nikkamadhātu


次に、続ける努力です。パーリ語で「nikkamadhātu(ニッカマダートゥ)」といいます。


Nikkamadhātu とは、続けること、継続することです。
これは1番目の「行為を始めること、開始すること」よりも、むずかしいステップになります。


私たちは、ものごとを始めることはできます。
「よし、やってみよう」というやる気があれば、始めることはできるものです。
これまでやったことのないことでも「やろう」と決めさえすれば、始めることはできるでしょう。


しかし、多くの方にとって大きな問題は、一貫して続けることです。


実践を始めましたが、努力が続きません。
「善行為をしよう」と決めて始めたものの、これまでの生き方に引きずられてしまうのです。


「戒律を守ろう」「仏道を歩もう」などと頭の中で考えますが、実際には前の生き方を変えることがなかなかできません。善行為をしたくないし、戒律を守りたくないし、瞑想をしたくない……。好きなアーティストの音楽を聴いていたいし、遊びたいし、インターネットをずっと見ていたい……。
このように欲に引きずられてしまうのです。


そのため、精進のエネルギーが出ず、前に進むことができません。


やがて行き詰まり、途中で投げ出して、やめてしまうのです。


そこで、ここで必要なのが、始めたことを継続する力です。
道を歩み続ける力が必要なのです。


これは、「始めること」よりも大きな努力が必要です。


「続けること」は、精進覚支のために欠かせない要素なのです。


『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
 ありのままに見る智慧』
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)



Sabbe sattā bhavantu sukhitattā


2026/01/04

①起動力―精進覚支 Viriya-Sambojjhanga の栄養素『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉』より

 

「7つの悟りの要素〈七覚支〉」より


精進覚支(Viriya-Sambojjhanga)の栄養素



①始める努力、②継続する努力、③困難を乗り越える努力、

これらが「精進覚支」を育てるために必要な要素です。


これら3つの要素をありのままに観察し(如理作意)、多く実践することによって、精進覚支が生まれます。


さらには完成へと導いてくれるのです。



①起動力(Ārambhadhātu)


Ārambhadhātu(アーランバダートゥ)とは、始めること、開始すること、起動すること、という意味です。


力を起こして行為を始めることであり、あらゆる努力の出発点になります。


どんな行為をするときでも、とくに善い行為をするときには、この「起動の要素」は欠かせません。


善い行為をしよう、悪い行為をやめよう、戒律を守ろう、瞑想をしよう、心を育てよう、善い道を歩もう、心を清らかにしようなどと、新たに行動を起こそうとする力が必要なのです。


頭の中でただ考えているだけでは、行動に移せませんね。そのときは、とにかく始める努力が必要なのです。


このように心のエネルギーを起動させ、努力のエネルギーを引き起こすことが、精進覚支の1番目の要素です。


まず、ここから始めるのです。


『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
 ありのままに見る智慧』
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)



Sabbe sattā bhavantu sukhitattā


2025/12/20

慈しみ(mettā)『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

 

『第1章 幸せをつくる〈15の善習慣〉より


慈しみ(mettā)


みなさんは、仲のよい友だちといるとき、ほっとしませんか?


「慈しみ」とは、気ごころの知れた仲のよい友だちといるときのような、あたたかくて、やさしい気持ちのことです。


そのやさしさを、仲のよい友だちだけでなく、まわりの人へ、そして生きとし生けるものにたいして広げていきましょう。


すべての生命にたいしてやさしさを育て、幸せを願うのです。


「ブッダが説いた〈15の善い習慣〉
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/12/13

慈しみで話すか、悪意で話すか?:話す前にチェックすべき5つのこと『正語〈正しい言葉〉―八正道➂ 』より

  

『第6章 正語の育て方より


慈しみのこころで話すか、悪意で話すか?


人と話すときに最も大切なのは、慈しみの気持ちで話すか、
それとも 内心に悪意をもって話すか、をチェックすることです。


仏教では、慈しみの気持ちで話すことを とても大切にしています。


悪意をもって話すと、後で自分もイヤな気持ちになるでしょうし、
慈しみのこころで話せば、こころがあたたかくなるでしょう。


やさしい慈しみの言葉は、よい種をまくように、自分のこころにも、他人のこころにも、豊かな善い実りをもたらすのです。


「話す前にチェックすべき5つのこと

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/11/30

「生きる」という働き『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

  命を支える4つの「食」とは?


2.触 食(phassāhāra)


生命を維持するものは、物質的な食べ物だけではありません。

目に見える食べ物だけでなく、心の食べ物も摂り入れているのです。


まず、「触(phassa:パッサ)」です。「触れる」ことですね。


私たちは瞬間瞬間、何かに触れて生きています。

目に、色や形が触れてモノを見ています。

耳に、音が触れて何かを聞いています。

鼻に、香りが触れてにおいをかぎ、

舌に、食べ物や飲み物が触れて味を味わっています。

身体の皮膚に、寒さや暑さ、硬さ、やわらかさなどが触れて感触を感じています。

意には、思考や妄想などさまざまな現象が常に触れています。

こうやって、いつでも何かしら対象が触れているのです。


このように、「眼・耳・鼻・舌・身・意」に「色・声・香・味・触・法」が「触れる」ことによって、エネルギーが生まれ、命が維持されています。


生命は生まれてから死ぬまで、すべての時間にわたって、この「触食」を摂りつづけているのです。


この「触れる」ことから、苦や楽など「感覚」が生じます。

さらには、「渇愛」が生じます。

これによって、「生きる」という働きが成り立っているのです。 


命を支える4つの「食」とは?『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/11/23

苦を理解する『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

「第4章 我(attā)から無我(anattā)へ」より 


このように、生老病死など輪廻の苦しみについて考えると、

「なんとかしなければ!」と、緊迫感をおぼえるでしょう。怖くなるのです。


たとえば、みなさんの家に火がつき、火事になったら、すぐに家から飛び出しませんか?

危険だとわかったら、次にとる行動は変わるはずです。

輪廻の危険や苦しみを、みずから感じることができれば、その苦しみから逃れたい、脱出したい、と思うのではないでしょうか。


幸い、ブッダはその逃れる道を教えられました。

その道とは、善行為や瞑想、気づき、八正道などを実践して、心を清らかにすることです。


輪廻の危険を理解した人は、その苦しみから逃れる道を歩み始めるでしょう。


第4章 我(attā)から無我(anattā)へ
自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā

2025/11/15

友情を壊さない『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 


第4章 苦しみを引き起こす〈邪語〉とは? より


②離間語(陰口)


邪語の2番目は、pisunāvācā です。

Pisunāvācā は、誰かの陰口を別の人に言って2人の仲を引き裂こうとする行為です。

「離間語」や「悪口」「中傷」と訳されています。


いわゆる、本人のいないところでその人の悪口を言って2人の仲を悪くさせ、分断させるようなことを言うことです。


どういうことでしょうか?


たとえばAさんにBさんの悪口を言って、Bさんのことを悪く思わせたり、
逆にBさんにAさんの悪口を言って、Aさんのことを悪く思わせたりして、2人の仲を引き裂こうとするのです。


これは2人の間だけでなく、グループ間にも、組織間にも、会社間にも、国家間にも、政治間にも、あてはまりますね。


仲を引き裂く離間語は、どんな場合でも悪い行為であり、
悪い業を生み出すことになりますから、
結果として他人だけでなく、自分にも苦しみをもたらすのです。



友情を壊さない


私たちは人として「言葉を使って家族や友人、社会、そして世界に調和をもたらす」ことが期待されます。


ですから自分の使う言葉が、

 ・他者の仲を引き裂かないか

 ・調和をもたらすか

ということをチェックするようにしてください。


悪口を言わないことは、言い換えれば「友情を壊さない」「仲を引き裂かない」ということです。


自分の友情も含め、他人の友情を壊さないことが、安穏への道なのです。


第4章 苦しみを引き起こす〈邪語〉とは?より

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/11/02

執着のないこころ『ウペッカー - こころの平穏:偏見を超え、客観的に見る智慧』より

 


執着のないこころ


そこで、自分に何かが起きたとき、

誰かに何かをされたとき、誰かに何かを言われたとき、

いま世の中で起きていることを見るとき、

どんなことも、どんな出来事も、

できるだけ自分の感情や主観を入れないよう、

客観的に観るようにしてください。

このようにして、ものごとに執着しないこころが育っていくのです。


執着は、苦しみをもたらします。

仏教では、苦しみの原因は執着にあると説いています。


モノや出来事、人にたいして執着すると、

それを失うことを恐れ、

不安や怒りなどネガティブな感情が生まれてきます。

それで苦しみを感じてしまうのです。


客観的にものごとを観、ウペッカーがあれば、

こころは執着の苦しみから解放され、平穏になるでしょう。


『こころの平穏 - ウペッカー〈upekkhā〉
 偏見を超え、客観的に見る智慧』

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/10/25

害を与えない思考『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 


幸せになる思考(第3章 言葉と思考


正しい思考の3番目は、「害を与えない思考」です。他者をいじめたり、傷つけたり、虐待したりしないことです。


いじめやパワハラは、学校や大学、会社などどこでも大きな問題となっていますね。人はさまざまなやり方で知らないうちに誰かをいじめているのです。


たとえば「自分はいつもトップでありたい」とか「社会的地位を誇示したい」といった気持ちが働いて、他人を貶しめようといじめるかもしれません。


社会には強い者が弱い者を支配するという構造が、いまだにあるのです。


そのような中、「弱い生命をいじめない人」は、優れた人格を持っていると言えるでしょう。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


そこで、これら「離欲の思考」「怒りのない思考」「害を与えない思考」など正しい思考(正思惟)が働いているとき、私たちは正しい言葉(正語)を実践することができます。


思考が正しく清らかですから、問題を引き起こす悪い言葉(邪語)を発することはないでしょう。


「幸せになる思考:第3章 言葉と思考より

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/10/17

怒りのない思考『正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉~欲・怒り・害意の手放し方―八正道② 』より』


2.「怒りのない」思考(無瞋の思考)


正思惟の2番目は「瞋恚(怒り)のない思考(abyāpāda saṅkappa:アビャーパーダ・サンカッパ)」です。


これは「無瞋の思考」と呼ばれ、強い怒りや憎しみの思考を抱かないことです。


この反対が「瞋恚(怒り)の思考(byāpāda saṅkappa:ビャーパーダ・サンカッパ)です。


瞋恚とは、普通の怒りではなく、強い怒りのことです。自分や他人にたいして激しく怒ったり、不満を抱いたり、憎んだりすることですね。「ゆるせない!」といった強い怒りです。



現代社会における怒りの落とし穴


インターネットやSNSが普及した現代社会では、さまざまな情報が飛び交い、怒りを刺激するような情報も増えています。


何気なく目にした情報やニュースに腹を立てたり、憤りを感じたり、理不尽な出来事によって怒りを爆発させたりしてしまう経験は、誰しもがあるのではないでしょうか。


これには気をつけなければなりません。


怒りは、こころの平穏を乱し、人間関係を悪化させるだけでなく、いろいろな問題を引き起こす元凶となるからです。


だからこそ怒りが生じたときには、それに気づき、すぐに怒りから離れることが重要なのです。


怒りの反対が、「怒りのない思考」です。


別の言葉で言えば、やさしい慈しみの思考や相手を尊重する思考、助けたいといった思いやりの思考です。


この思考が、正思惟の2番目です。


2.「怒りのない」思考(無瞋の思考)
「第3章 苦しみから解放される3つの思考」


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】

正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②


Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/10/03

命を支える4つの「食」とは?『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

 

どんな生命も、「食(栄養・エネルギー)」によって支えられ、維持され、管理されて生きています。

「食」を摂り入れなければ生きていられません。


この「食」を、ブッダは4つの要素に分類して教えられました。


一般的に「食」や「食べる」といえば、私たちはパンやご飯など物質としての食べ物しか思い浮かばないでしょう。


しかしブッダは、「生命は、物質的な食べ物以外に3つの要素を摂り入れて4つの食で生きている」と説かれました。


4つの「食(āhāra)」とは、


 1.段食(kabaliṇkārāhāra)

 2.触食(phassāhāra)

 3.意思食(manosañcetanāhāra)

 4.識食(viññāṇāhāra)


です。


これら4つの食のうち、身体を維持している食が1つ、心の食が3つになります。

4分の3を、心の食が占めているのです。ここで、心がいかに生命の維持に大きく関わっているか、ということがわかりますね。


命を支える4つの「食」とは?『こころの栄養〈五蓋と七覚支〉』より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitattā


2025/09/28

穏やかな世界『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

 

人のなかには、他人が何をしたのか、何を得たのか、何に成功したのか、
どんな間違いをしたのか、どんな失敗をしたのかと、あれこれ気になる人もいます。


そうやって、自分と他人とを比べたがるのです。それがクセになっています。


これは悪いクセです。


なぜなら比べた時点で、こころに欲や怒り、嫉妬などが生まれ、自分にたいする慈しみが消えてしまうからです。


そこで、比べるのではなく、自分のよいところを認め、他人のよいところを認めることが大切です。


そうやって、互いに助け合い、励まし合い、学び合うことで、自分にも他人にも、美しい穏やかな世界があらわれるのです。


自己愛から慈しみへ、我から無我へ『マッリカー経』より