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2025/09/20

思考の真のあり様『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

  

思考の真のあり様


さらに、真理の観点からものごとを観るならば、

どんな思考も浮かんで消えていくことがわかるでしょう。

それが思考の真のあり様です。


ブッダはこのことを発見し、他の人もそれを発見できるよう、

さまざまなやり方で教えを説かれました。

だからこそブッダは「阿羅漢(arahant)」と呼ばれるのです。


ブッダの特質の1番目は、阿羅漢です。

ブッダの偉大な「徳」は9つあり、その第一が阿羅漢なのです。


では、「阿羅漢」とは何でしょうか?

阿羅漢とは、「煩悩」をすべて滅し尽くし、

神々と人間の尊敬や供養を受けるに値する方」です。


「煩悩をすべて滅し尽くした」とは、

いわゆる「生まれかわり死にかわりの輪廻の輪を断ち切った方」ということです。

輪廻転生のサイクルから脱出することによって、阿羅漢に達することができるのです。


ブッダは、いかなる不善行為(akusala)もしませんでした。

こころの中でも、思考の中でも、微塵の不善行為もしないのです。

なんと尊い人生でしょうか!


「頭の中でのおしゃべり:第3章 言葉と思考より

正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉
~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




生きとし生けるものが幸せでありますように

2025/08/30

頭の中でのおしゃべり『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

   

頭の中でのおしゃべり


私たちは普段から無意識に言葉を使ってものごとを考えています。

考えているときは口に出しませんが、頭の中でいろいろな言葉が行き交かっているのです。


たとえば、「今日はコンビニに寄って飲み物を買っていこう。職場に着いたら昨日やり残した仕事を終わらせないと。あー、全然進んでない。どうせまた上司に怒鳴られるんだ。ほんとにストレスがたまる。もう辞やめちゃおうかな。でもお金も必要だし。でもな……」などと。


このように、頭の中でいろいろな言葉がまとわりついてくるのです。

これは誰か他人と話しているのではなく、自分自身と話しているということです。

ある種の会話が自分の頭の中で起こっていて、言葉が生成されています。

いわゆる、思考の中で言葉のやりとりが行なわれているのです。


もし、この思考が悪いものなら苦しみを生み出すでしょうし、

善いものなら幸せな結果を生み出すでしょう。


ですから、頭の中でのおしゃべりも善悪の業(kamma)をつくり出すことを理解して、よく気をつけたほうがよいのです。


2025/08/23

まず、善い性格を育てる『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 

まず、善い性格を育てる


生命は誰でも過去生で積み重ねてきた業(kamma)を

こころに備えて今生に生まれています。

たとえば過去生で数学者だったとしたら、

その性格や傾向を、今生でもいくらか引き継いでいるということです。


無数の過去生からさまざまな性質が引き継がれており、

この世でのいのちを終えたとき、

今生で蓄積された行為や性質、傾向はいくらか

次の「生」へと引き継がれていくのです。


これについては「第3章 言葉と思考:こころの癖と意図」で

詳しくお話いたします。

2025/08/16

なぜ、言葉が大切なのか?『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則―八正道➂ 』より

 

なぜ、言葉が大切なのか?


 


「なぜ、言葉が大切なのか?」と聞かれることがあります。


私たちは普段、何気なく話しています。まるで空気のように言葉を使っています。なかには「自分は思っていることをそのまま口に出して言う。それが自然体だ」と言う人もいるでしょう。


一見、ないがしろにされがちな「言葉」ですが、ブッダは最も重要な真理である「八正道(苦しみを滅する8つの道)」のひとつに「正しい言葉(正語:しょうご)」を含めました。


なぜ、言葉がそれほど大切なのでしょうか?


それは、私たちの生き方に言葉が深く関わっているからです。


人はこころだけでなく、言葉を通じてものごとを学んだり、自分の考えを他人に伝えたり、相手の考えを理解したり、互いにコミュニケーションをとることができます。言葉によるコミュニケーションが、人との関係の中で重要なものとなっているのです。


たとえば、仕事では連絡や報告、アイデアなどを共有し、協働するために欠かせないツール(道具)となっていますし、学校や研修では知識を身につけ技術を習得するために言葉が使われますね。情報をやりとりするときにも言葉が使われます。


では、言葉は単に情報をやりとりするだけのツールでしかないのでしょうか?


そうではありません。言葉は単なるツールではなく、「正しく育てるべきもの」なのです。


「言葉」のことをパーリ語で vācā(ワーチャー)と言います。
この vācā を正しく使うことを「正語:sammā vācā(サンマー・ワ―チャー)」と言い、この正語を育てることによって私たちの性格も「善」のほうへと向上していくのです。


そのため、苦しみをなくしたい、「善」の道を歩みたい方にとっては、言葉の善い面である「正語」を実践することが非常に大切になります。

 

また、言葉を正しく使う人は他人からも尊敬されるでしょう。


はじめに 言葉の大切さより


正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道➂

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




生きとし生けるものが幸せでありますように

2025/07/31

【新刊】正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉―八正道➂

  

🔸苦しみから解き放たれる道「八正道」の第3の道
 「正語(正しい言葉)」


悩み苦しみを生みだす言葉を手放し、 こころに安らぎをもたらす「正しい言葉」を育てるには?


『正語〈正しい言葉:Sammā Vācā〉 ~幸・不幸をつくる言葉の法則 ― 八正道 ➂』

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕出村佳子〔訳〕が刊行されました。


よろしければ、ぜひご一読ください。




◇ ◇ ◇ ◇ 


目 次


はじめに 言葉の大切さ


第1章 八正道における「言葉」


 悩み苦しみをなくす道「八正道」

 ありのままに見る「正見」

  ・自分中心の見方を手放す

 3つの清らかな思考


第2章 言葉はどのように生まれるのか?


 言葉の危うさ

 正しい言葉「正語」とは?

 まず、善い性格を育てる


第3章 言葉と思考


 頭の中でのおしゃべり

 こころの癖と意図

 習慣によって染みついた傾向

 「言葉」をつくるのは「思考」

 幸せになる思考


第4章 悩み苦しみを引き起こす「邪語」とは?


 ①妄 語(嘘)

 嘘は悪のみなもと

「善のこころ」の根源を攻撃する行為

 意図と業(kamma


 ②離間語(陰口

 友情を壊さない


 ③粗悪語(乱暴な言葉

 言葉の選択


 ➃綺 語(無駄話


第5章 やすらぎをもたらす「正語」とは?


 正語(正しい言葉)をサポートする要素

 ◎ 正 見 = 理解し判断する

 ◎ 正精進 = 努力し実践する

 ◎ 正 念 =「いま・ここ」に気づく

 「中道」における言葉

 「言葉の節度」って何?(mitabhāṇī

 聖なる沈黙(Noble silence


第6章 「正語」の育て方


 ①話す前にチェックすべき5つのこと


 ②振り返り振り返り、観察する

 正語と気づき(マインドフルネス)


 ③10の優れたトピック


 蜜と刀:言葉の二面性


おわりに

著者紹介


◇ ◇ ◇ ◇ 


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila

フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学 哲学部・助教。

カナダのビクトリア大学・宗教社会研究センター元研究員。

タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学仏教研究所刊行『国際仏教ジャーナル誌』の査読編集員。

フィリピン、マレーシア、シンガポール、アメリカ、カナダなどの大学や寺院で、講演や法話、瞑想リトリートを行なっている。


◎ブログ ▸ Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話 ▸ Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
書 籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html


◇ ◇ ◇ ◇ 

見〈正しい見方:Sammā Diṭṭhi〉
ありのままに見る智慧―八正道① 』


『正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉
欲・怒り・害意の手放し方 ― 八正道②』




生きとし生けるものが幸せでありますように


2024/12/14

こころの波『こころの平穏〈ウペッカー〉:偏見を超え、客観的に見る智慧』より

 

こころの波

 


こころは、海の波ように絶えず変化し続けています。


日常のちょっとした出来事や誰かに言われたひとことが、こころに小さな波紋を呼ぶこともあります。


ストレスや悩み、未来への不安、後悔といったネガティブな感情の波もあれば、社会のプレッシャーや人間関係のトラブルなど荒波のようにこころが激しく動揺することもあるでしょう。


そのときそのとき、さまざまな要素が複雑に絡み合ってこころに影響を与え、感情の波が押し寄せてくるのです。

 

こころの波は、誰しもが経験する自然な現象です。


大切なのは、この波を恐れるのではなく、気づいて受け入れることです。


恐れたり、抑え込んだり、つらい感情に打ちのめされるのではなく、「こころがいま、どのような状態にあるのか」ということにただマインドフルに気づき、客観的に観察することです。


そうすることで、こころの平穏「ウペッカー」が育っていくのです。


「おわりに こころの波」より

『こころの平穏〈ウペッカー〉~偏見を超え、客観的に見る智慧』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】




生きとし生けるものが幸せでありますように

2024/12/08

【新刊】こころの平穏〈ウペッカー〉:偏見を超え、客観的に見る智慧

 

🔸偏見や先入観、固定観念のフィルターを外し、ものごとをありのままに観るために欠かせない「平穏なこころ〈ウペッカー〉」を育てるには?


『こころの平穏 〈ウペッカー:Upekkhā〉~偏見を超え、客観的に見る智慧』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕が刊行されました。

よろしければ、ぜひご一読ください。

こころの平穏〈ウペッカー〉~偏見を超え、客観的に見る智慧
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】


◇ ◇ ◇ ◇ 


目 次


はじめに 感情のジェットコースター


第1章 こころのバランス「ウペッカー」

 誰がウペッカーを実践するのか?

 「客観的に観る」とは?

 「身体の痛み」は「私の痛み」?

 執着のないこころ

 部分ではなく、全体的に


第2章 「中立」のこころ

 タトラマッジャッタター(中捨)

 こころの偏り

 「好き・嫌い」は一時的なもの

 バランスを保つ

 価値判断を超える

 「中道」の発見


第3章 なぜ、ウペッカー(捨)が大切なのか?

 理由① 8つの現象に振りまわされないため

 理由② 「平等のこころ」を育てるため

 理由③ 中道(八正道)を歩むため


第4章 ウペッカーの育て方

 1 インテグリティ(誠実さ)

 2 信頼

 3 こころを鍛える(瞑想)

 4 心身を調える

 5 自分と他人を理解する

 6 業(kamma)を理解する

 7 ヴィパッサナー(vipassanā)の見方

 8 こころの自由

 気づき

 ウペッカーは解放(解脱)へのカギ


第5章 Q&A

 ウペッカーを実践するにあたって

 「ウペッカー」と「無関心」


おわりに こころの波


著者紹介


◇ ◇ ◇ ◇ 


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila

フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学・哲学部の助教。
タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学仏教研究所刊行『国際仏教ジャーナル誌』の査読編集者。
カナダのビクトリア大学・宗教社会研究センターの元研究員。
フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、日本、アメリカ、カナダの大学や寺院で、講演、法話、瞑想リトリートをおこなっている。


2024/10/27

正しい思考を育てるには?『正思惟:Sammā Sankappa〉欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②』

 

正しい思考を育てるには?


「正思惟」を育てるためにはどうすればよいのでしょうか?



それは、まず自分の思考に気づくことです。


自分の思考がどんな状態なのか? 


何を考えているのか? 


どんな思考や感情が生まれているのかを観察してみましょう。


もしその中で悪い思考や感情があれば、それを手放していきます。


欲や怒り、害意がこころに生まれたら、すぐにそれに気づくようにしてください。


気づくことによって、そこから離れられるのです。


「第2章 正しい思考「正思惟」を育てるには?」より

正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



2024/10/14

心でどこを探してみても…『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』より

 


コーサラ王とマッリカー妃のこの話を聞いたブッダは、その意味を知って、次のようにおっしゃいました。


心でどこを探してみても、

自分より愛しい者を見いだすことはできない。

それと同じく、他の者にとっても、自分のことが愛しい。

ゆえに、自己を愛する者は、他の者を害さぬように。


“Sabbā disā anuparigamma cetasā,

Nevajjhagā piyataramattanā kvaci;

Evaṃ piyo puthu attā paresaṃ,

Tasmā na hiṃse paramattakāmo” ti.


このブッダが説かれたことの意味について、これからご説明いたしましょう。



2024/09/28

ネガティブな思考からの解放 『正思惟〈正しい思考〉欲・怒り・害意の手放し方―八正道② 』

 


人は知らず知らずのうちにネガティブな思考パターンに囚われてしまうものです


怒りや嫉妬、競争心、不安、恐怖、落ち込みといった思考や感情は、自分を苦しめるだけでなく、周りの人にも悪い影響を与えます。


そこで、「正しい思考(正思惟)」を実践していくことで、これらネガティブな思考に気づき、思考を管理できるようになるのです。


「正しい思考(正思惟)」は人生の羅針盤であり、生き方そのものです。


日々、思いやりや慈しみ、施し、理解、智慧に基づいた思考を選択し、実践することによって、思考が清らかになっていくでしょう。


その結果、より安穏で幸福な人生を送り、こころを悩ませている悩みや不満、苦しみは消えていくのです。

 

「おわりに:ネガティブな思考からの解放」より

正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】



2024/09/22

【新刊】正思惟〈正しい思考:Sammā Sankappa〉―八正道②

 

🔸苦しみから解き放たれる道「八正道」の第2の道「正思惟(正しい思考)」

悩み苦しみを生みだす思考を手放し、こころに安らぎをもたらす「正しい思考」を育てるには?


『正思惟〈正しい思考:Samma Sankappa〉
 ~欲・怒り・害意の手放し方 ― 八正道 ②』

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕出村佳子〔訳〕

が刊行されました。

よろしければ、ぜひご一読ください。


◇ ◇ ◇ ◇ 


目 次


はじめに:大切なこと


第1章 正しく考える(正思惟)ってどういうこと?

 

 人生の羅針盤

 「正しい見方」から生まれる「正しい思考」

 汚れた思考をキレイにする

 毎日、何を考えていますか?

 オートモードで働く欲

 欲はどこで生じるのか?

 生きる上で必要な欲

 「欲」と「怒り」のプロセス


第2章 欲は、怒りと害意の出発点


 3つの思考は本能的なもの


第3章 苦しみから解放される3つの思考


 1.「欲から離れる」思考

  欲を手放す3つの実践


 2.「怒りのない」思考

  怒りを鎮める「慈・悲・喜・捨」の力


 3.「害を与えない」思考

  怒りの思考 と 害意の思考 の違い

  無害の思考を育てるには?


 3つの正思惟/邪思惟の関係

 「正思惟」を育てるには?


第4章 「言葉」は「思考」を映し出す鏡


おわりに:ネガティブな思考からの解放


著者紹介


◇ ◇ ◇ ◇ 


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila

タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学仏教研究所刊行『国際仏教ジャーナル誌』の編集委員。

米国ロニン・インスティテュートの研究員。初期仏教経典、アビダンマ、仏教倫理を研究。

カナダのビクトリア大学宗教社会研究センター(CSRS)の元研究員。

欧米、マレーシア、シンガポール、タイ、インド、スリランカの大学や寺院で、講演や法話をおこなう。日本でもオンライン法話会や瞑想会を開催。

◎ブログ:Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話:Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
オンライン法話会&書籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html


『正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方 ― 八正道②』




生きとし生けるものが幸せでありますように

2024/07/10

日常を安穏に過ごす4つの法「法話と瞑想 with チャンディマ長老」

 

 

2024年7月15日(月・祝)午前10時00分より、

「第26回 法話と瞑想 with チャンディマ長老」をオンライン(zoom)で開催いたします。


今回のテーマは、「日常を安穏に過ごす4つの法」です。

日々、充実感を感じながら心穏やかに過ごすブッダの智慧を学んでみませんか。

どなたでもご参加いただけます。ぜひ、お気軽に🙏

2024/07/06

仲を裂く言葉を使わない『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

 

人は生まれながらにして、口の中に斧を持っている

愚か者は悪口を言っては、自分を斬り、他人を斬る

ブッダ





言葉で実践する善行為の2番目は、「人の仲を裂く言葉を使わない」ことです。


その人がいないところで悪口や嫌がらせなどを言い、相手の名誉を傷つけ、仲違いさせることは、悪い行為です。


人は裏で悪口を言いますか? 陰で中傷しますか?


そういう人もいますね。その人がいるところでは別のことを言い、陰では貶したり、悪口を言ったり、中傷したり、ひどいのです。


なぜ、そのようなことをするのでしょうか? 


それは、こころに怒りや嫉妬があるからです。他人の幸せや成功が悔しいのです。


ブッダは、言葉における不善行為の2番目は、「人の仲を裂く言葉を言うこと」とおっしゃいました。陰で中傷することは何であれ、このなかに入るのです。


その反対の「人の仲を裂く言葉を言わないこと」が善行為です。そこには「インテグリティ(誠実さ)」があるのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「10の善行為:人の仲を裂く言葉を言わない」
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

2024/06/22

時間:与えられていないものを取らない『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

  

2 与えられていないものを取らない



身体で実践する善行為の2番目は、「与えられていないものを取らない」ことです。


これは、お金やモノだけではありません。多くの人がよくやっていることがあります。




それは、時間を取ることです。


たとえば、午前10時に取り引き先の会社で人と会う約束をしているとしましょう。

でも、自分が到着したのは午前11時。1時間、遅刻しました。

この場合、(もし理由がなく連絡もしなければ)相手の時間を取ったことになるでしょう。

なぜなら相手はその時間、ほかのことをせずに、自分のことを待っていたのですから。


あるいは、1時間前の9時に到着したとしましょう。

外で待ったり、時間をつぶしたりすることなく、相手に会いに行くとします。

この場合も問題です。

というのも、相手は別の仕事をしているからです。


したがって、遅刻することも、早く着きすぎることも、相手の時間を取ることにつながりますから、気をつけたほうがよいでしょう。


チャンディマ長老


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「10の善行為:2. 与えられていないものを取らない」
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

2024/06/15

現象をより明瞭に観る(択法覚支)『こころの栄養――悟りの栄養素:七覚支』より

 

②区別して調べる(択法覚支)


悟りを支える7つの要素(七覚支)の2番目はなんでしょうか?


択法覚支です。パーリ語で「dhammavicaya-sambojjhaṅga(ダンマヴィチャヤ・サンボッジャンガ)」といいます。


気づきを実践し、念覚支が育っていくと、次に「見ている現象をより明瞭に観る」ことができるようになります。これを「択法(dhammavicaya)」といいます。


択法とは、「さまざまな現象を区別して調査する/調べる」ことです。ものごとを区別して、その特性がよく見えるようになるのです。これは「差別」ではなく、「区別」という客観的な観察になります。





では、択法(ダンマヴィチャヤ)の「法(ダンマ)」とはなんでしょうか?


「法(ダンマ)」という言葉には意味がいくつかありますが、ここでは「現象の性質」という意味になります。


具体的にいえば、「善・不善」の性質、「非難されるもの・非難されないもの」の性質、「劣・優」の性質、「黒・白・混在」の性質です。
これらの性質を、区別して詳細に観察するのです。


悟りの1番目の要素「気づき(sati)」を十分に実践し、さまざまな現象を絶えまなく観察していると、次に「択法」がおのずと生じます。
択法が生じると、諸々の現象がよりはっきりと見えてくるのです。


心に生じる現象には、それぞれ固有の性質があります。
心はさまざまな現象を区別して、データどおりにその性質を見ることができるのです。


この経典で挙げられているのは、

・善いもの(kusala)

・不善のもの(akusala)

・非難を伴うもの(sāvajja)

・非難のないもの(anavajjā)

・劣っているもの(hīna)

・優れているもの(paṇītā)

・暗いもの(kaṇha)

・明るいもの(sukka)

・暗いものと明るいものが混在しているもの(sappaṭibhāgā)

 です。


最後の3つを少し補足しておきましょう。

Kaṇhaとは、暗いものや黒いものという意味で、悪行為・罪のある行為(pāpa)を指しています。

Sukkaとは、明るいものや白いものという意味で、善い行為・徳のある行為(puñña)のことです。

Sappaṭibhāgāとは、暗いもの(黒)と明るいもの(白)の両方が混在しているもののことです。

こうした法(現象)を区別して観察するのです。


択法(dhammavicaya:ダンマヴィチャヤ)の択(vicaya:ヴィチャヤ)とは「調べる」という意味です。

悟りの第1の要素「気づき(sati)」を十分に実践していると、心に「調べ、区別する機能」が育っていきます。

それで「現象(法)がどのようなものか」と、より細かく見えるようになるのです。


チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉
第4章 悟りの栄養素――七覚支』より