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2024/02/09

怒りではなく、やさしさを選択する『自己愛から慈しみへ、我から無我へ』


2.怒りではなく、やさしさを選択する


2番目は、やさしさを選ぶことです。怒りや対立は選びません。


怒ったり、嫉妬したり、憎んだりすることは、簡単にできます。幼い子どもにでもできますね。何か気に入らない言葉を聞いたとたん、腹が立ち、とっさに怒りで反応してしまうでしょう。
そこに、「どんな反応をしようか」と選ぶ余裕はありません。



一方、自分を含め、生きとし生けるものにたいしてやさしい気持ちで接することは、たやすいことではありません。

また、他人と調和を保ち、仲よくすることにも、それなりに努力が必要です。

さらに高いレベルは、状況にかかわらず、他の生命にたいし、一貫してやさしさを抱くことです。


たとえば、自分が不当な扱いを受けたり傷つけられたとき、冷静に落ち着いていることはできるでしょうか?

ひどい目に遭ったとき、怒らず、心に慈しみを抱きつづけることはできるでしょうか?


これには心の落ち着きや忍耐、精進が欠かせません。ですから日々練習し、訓練することが必要なのです。


やさしい心でいることは、私たちにこの上ない幸せをもたらしてくれます。これが、怒りや憎しみ、対立ではなく、やさしさを選択するようにと、ブッダがおっしゃった理由なのです。


『自己愛から慈しみへ、我から無我へ:マッリカー経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)


生きとし生けるものが幸せでありますように
Sabbe sattā bhavantu sukhitattā

2024/01/19

謙虚さ『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

 

6.謙虚さ(anatimānī


善い習慣の6番目は、「アナティマーニー(anatimānī)」です。
これは、傲慢ではなく謙虚であることです。


なぜ、謙虚さを身につける必要があるのでしょうか?



謙虚な人は、現実的で、正直で、地に足が着いています。


私たちは地に足をしっかり着けて生きるべきであって、宙に浮いたようにフワフワしていてはいけません。

威張って傲慢で生きるべきではありません

そのためには、謙虚で落ち着いている必要があります。


ブッダは私たちに、いつでも謙虚でいるようにとおっしゃいました。

謙虚でいることは、私たちが生きるうえで非常に重要なことです。

ブッダはとても謙虚な方でした。悟りを開く前、どの過去世においても菩薩として謙虚でいたことの例が、『ジャータカ物語(前世物語)』に記されています。

どの「生」でも、ブッダはずっと謙虚な性格でいたのです。


私たちも、謙虚さを習慣にし、身につけるべきです。
謙虚でいることは、悟りに達するために欠かせない要素なのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 6. 謙虚さ(anatimānī
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/12/23

自分と他者のまもり方『セルフケア: ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』より


ブッダが教えた「自分と他者のまもり方」


みなさんは日々、自分を大事にまもっていることと思います。


ケガをすれば手当てをし、病気になればクスリを飲み、お腹が空けば何かを食べ、疲れたら休むなど、自分を大事にまもっているでしょう。ケガをしたまま、のどが渇いたまま、お腹がすいたまま、何日もほったらかしにしている方はいらっしゃらないと思います。


また、家族や財産も大事にまもっているでしょう。家の玄関にカギをかけたり防犯カメラをつけたりなど対策をしっかりとっているのではないでしょうか。


このように、人はさまざまなかたちで自分自身や家族、財産などをまもっています。

でも、それで十分でしょうか? 何か忘れているものがありませんか?

「心」はまもっているでしょうか? 「思考」はどうでしょうか?


ある日、ブッダは「自己を真にまもるとはどのようなことか」、また「自己をまもっているかどうかを見分ける方法」について説かれました。



ご紹介する経典は、「Attarakkhita Sutta(アッタラッキタ・スッタ)」です。

Atta(アッタ)とは「私」や「自己」という意味、rakkhita(ラッキタ)とは「まもられている」という意味で、合わせて「自己がまもられている」という意味になります。


「自己をまもる」とは一般的に、内と外から生じうる危険、危害をもたらす関係や状況など、さまざまなトラブルから自己をまもるということです。


まもることができたら、次に安全を保つ必要があります。
安全とは何でしょうか?


ひとつは身体の安全です。なかでも健康ですね。私たちはみな身体を持っています。身体を持っているかぎり病気になることは免れませんが、それでもできるかぎり健康を保つようケアをし、メインテナンスをすることが必要なのです。


ブッダは『ダンマパダ(Dhammapada)』において、

「健康は最上の利得である」
(Ārogyaparamā lābhā)

と説かれました。


利得には、お金や財産、繁栄、成功、地位などいろいろなものがありますが、どんな利得よりも健康が最高の利得である、とブッダはおっしゃっています。

健康であるからこそ、私たちは元気に活動したり、働いたり、善い行為をしたりすることができるのです。


それから、「身体」や「財産」をまもることより大切なのは、「心」をまもることです。「心」をまもることは、ほかの何をまもることよりも遥かに大切なことなのです。


『セルフケア:ブッダが教えた〈心〉と〈言葉〉と〈身体〉のととのえ方』
「はじめに:ブッダが教えた 自分と他者のまもり方」より

 




2023/11/26

こころの柔和さ―変化にたいする対応力『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』


5.心の柔和さ(mudu)


「どこへ行こうと、何をしようと、柔和であるように」
ブッダはおっしゃいました。




柔和であるためには、心に柔軟性がなければなりません。相手のことを知り、理解することが大切です。

相手はどのような見方や考えを持っていますか?


たとえ意見や立場が違っても、相手のことを尊重し、理解していれば、人間関係はスムーズに運びます。


反対に、家族や友人など親しい人のあいだでも、もし相手の意見や立場を尊重せず、自分のわがままを押しとおし、適切な接し方を知らなければ、トラブルが起こるでしょう。


自分が間違っていたり、意見や考えを変える必要があることを知りながらも、それを変えずにいることは、柔軟性に欠けています。その結果、家族や友人から疎まれてしまうのです。


ブッダは私たちに、柔和で柔軟になるようすすめています。


柔和な人は穏やかで、精神的に安定しています。


それで、相手やまわりの状況、環境の変化にたいして効果的に対応することができるのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 5. 心の柔和さ(mudu
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/11/18

よく聴く:善い習慣『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

 

4. 助言を求め、よく聴くこと(suvaco)


「スワチョー(suvaco)」とは何でしょうか?


適切な人にたいして心をひらき、指導やアドバイスを求めることができること、
また人の話をよく聴き、アドバイスされやすく、教わりやすい性格でいることです。


みなさんは、自分はすでに完璧で、他人からの指導やアドバイスは必要ないと思っていませんか? そのように考えていませんか?

それは、よいメンタリティではありません。




とはいえ、誰からでも指導を受ければいいというものでもありません。

受ける人に気をつけることも大切です。

愚かな人からではなく、善い人から指導を受けることが大切なのです。このことを知っておくとよいでしょう。


ブッダは、こうおっしゃっています。

適切な人に助言やアドバイスを求めるなら、多くのことが学べます。あなたが何か間違ったことをしたときには、それを指摘し、教えてくれるでしょう、と。


これは、人が成長するうえで欠かせないことです。

なぜなら人は誰でも不完全なのだから――。ダメなところや弱いところ、短所、欠点などがいろいろあり、それを直していくことこそ、人がすべきことなのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 :4. 助言を求め、よく聴くこと(suvaco)
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/11/04

こころの能力を磨く:善い習慣『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』

    

1. 能力がある(sakko)


どんな習慣であれ、善い習慣を身につけるためには、チャレンジが欠かせません。努力が必要なのです。


でも、感情がどうしても先立ってしまい、感情に負けてしまうことが多々あります。


たとえば、「怒ることはよくない、誰にたいしても慈しみで接したほうがいい」ということは、みなさんよくご存じだと思います。


でも、実際に何かイヤなことがあったとき、腹が立ち、怒りをそのまま言葉や行動に表わしていませんか?


嫉妬することはよくないことだと知っていますが、実際に嫉妬がわき起こったとき、嫉妬にとらわれ、嫉妬から脱け出せなくなることがありませんか?

そこなのです。


慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉


そこで、私たちがすべきことは、苦しみをもたらす感情から離れるようチャレンジすることです。


瞑想しているときだけでなく、職場にいるときでも、家庭にいるときでも、どこにいるときでも、日常生活のなかで感情が生じたとき、それにすぐに気づき、観察して、とらわれないようにするのです。


心を清らかにするためには、精進(viriya)が欠かせません。

もし精進せず、実践もしなければ、いくら仏教を学んでも、学問としての知識に留まるだけでしょう。

学んだことを実生活に活かすことはできません。


知識を得るだけで実践しなければ、現実の生き方が改善することはなく、向上することもありません。

机上の学問は、現実の人生ではないのですから――。


したがって、日々、慈悲を実践し、育てる努力をすることは、欠かせないことなのです。


では、「慈悲喜捨」とはどのようなものかを簡単にご説明しましょう。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 1. 能力がある(sakko)
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/10/29

平等に見るこころ(ウペッカー)

 

捨(upekkhā:ウペッカー)


最後は「捨(ウペッカー)」です。


ウペッカーとは、どんな人に出会っても、どんな困難な状況に陥っても、理解し、落ち着いていられる平静なこころのことです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』 幸せをつくる15の善習慣「捨(upekkhā:ウペッカー)」


どんな生命も、「幸せになりたい、安心して楽しく暮らしたい」と願っています。「不幸になりたい、苦しみたい、嫌われたい」と望んでいる生命はいません。


その観点から見れば、生命はみな同じです。


平等なのです。


このことが理解できれば、たとえ苦手な人(生命)がいたとしても、
「この人も自分と同じように幸せを望んでいる」と考えて、落ち着いていることができるでしょう。


嫌悪感はもう生まれません。


この、「みなを平等に観て、落ち着いているこころ」がウペッカーなのです。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
幸せをつくる15の善習慣「捨(upekkhā:ウペッカー)
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/10/22

善い習慣が善い性格をつくる――幸せをつくる15の善習慣(第1章)より

 

習慣は、ある意味、危険なものでもあります。

よい習慣ならいいのですが、悪い習慣の場合には、さまざまな問題を引き起こします。

というのも、人は楽なほうへ楽なほうへ流されやすいのだから――

ほうっておけば悪い習慣に支配され、苦しみが増大するでしょう。

それで人生は閉ざされてしまうのです。



仏教は人々に、善い習慣を身につけるよう教えています。それによって生き方が調和し、人生がひらけてくるのです。


本章でお話するのは、ブッダが教えた「善い習慣」です。ブッダは善い習慣について具体的に説かれました。

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そこで、この善い習慣を新しく身につけるためには、こつこつ取り組んでいくことがカギになります。


悪いクセが心にしみついている方は、もしかすると身につけるのに時間がかかるかもしれません。

しかし、これは苦労してでも育てる価値があるものです。

人生を幸せにし、悩み苦しみをなくしたければ、善い習慣を身につけることは欠かせないことなのです。


それでは、これから「15の善い習慣」とはどのようなものか、ひとつずつ学んでいきましょう。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
第1章 幸せをつくる15の善習慣「善い習慣が善い性格をつくる
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)






2023/09/07

慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉「はじめに―善習慣と善行為」より

 


はじめに――善習慣と善行為


「日々、心穏やかに生きていきたいんですが、どうすればよいのかわかりません……」


こういった質問をいただくことが、よくあります。

みなさんも、一度は疑問に思ったことがあるかもしれません。


ブッダは、「悩み苦しみをなくし、幸せにいたる道」を教えられました。

その道は「一つの道」ですが、聴く人がそれぞれ理解できるよう、ブッダはさまざまなアプローチをとって法(ダンマ)を説かれました。


本書では、私たちが幸せになるためにどうしても欠かせない「善い習慣(善習慣)」と「善い行為(善行為)」についてお話いたしましょう。


「善習慣」が15項目、「善行為」が10項目あります。

そのひとつひとつが互いに支え合い、協力し合い、連動し合いながら、心は少しずつ成長し、清らかになっていきます。

やがて、揺らぐことのない幸せが築かれ、涅槃に到達できるでしょう。


まず、「善習慣」とは何か、「善行為」とは何か、ということについてお話いたします。

「善習慣」と「善行為」の2つのセットがあります。

この2つのセットがそれぞれどのようなものかを理解するようにしてください。


その後、なぜこの2つのセットを実践することが必要なのか、ということについて学んでみましょう。


『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
はじめに――善習慣と善行為より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老著







2023/05/07

BLESSINGS by チャンディマ長老とマレーシアの音楽グループ

 


#チャンディマ長老 とマレーシアの音楽グループによる

2023年ウェーサーカの満月日をお祝いする歌「BLESSINGS」が公開されました。

ブッダの生涯を語る美しい絵も、心にやすらぎを与えてくれます。


2023/05/06

慈しみの実践



ウェーサーカ満月日の前夜(2023/05/04)の法話より
(スリランカでは2023/05/05が満月日です)



立っているときも、歩いているときも、

座っているときも、横になっているときも、眠っていないかぎりは、

慈しみの念(sati)を保ってください。


これは梵天の(崇高な)生き方であると言われています。


このように実践する人は、

邪見を乗り越えます。

いつでも戒を保ちます。

正見が得られます。

諸々の欲望にたいする執着がなくなります。

輪廻を繰り返すことはありません。

母体に宿ることはもうありません。

2023/02/04

慈しみの実践で大切なこと ~瞑想か、心のあり方か? チャンディマ長老法話会│2月12日(日)AM10:00~





2023年2月12日(日)午前10時00分より、

第22回 チャンディマ長老 法話会
「慈しみの実践で大切なこと ~瞑想か、心のあり方か?」
Is Friendliness (mettā) a split-second meditation or an attitude?

オンラインzoomで開催いたします。


知っていると思いがちな「慈しみ」について、さらに一歩進んだ大切なポイントを学んでみましょう。

2022/10/15

ふりかえって




先月9月23(金・祝)日は、チャンディマ長老による20回目の瞑想と法話会でした。

法話が終わり、みなで回向をしたあと、チャンディマ長老がこの20回を軽く振り返ってくださいました。


個人的には、2年ほど続けてこられているのと、多くの法友さんと一緒に学べていることが嬉しい。

2022/03/19

安穏でありますように

読経と慈悲の瞑想 with チャンディマ長老⑥ │2022/3/20(日)


生きとし生けるものが幸せでありますように

安穏でありますように

危害がありませんように

困難や問題に出あったとき

忍耐、勇気、理解をもって乗り越えられますように


読経と慈悲の瞑想 with チャンディマ長老⑥」 2022/3/20(日)10:00~


Bhante Dr. Gangodawila Chandima チャンディマ長老





2022/02/15

やさしさ:慈しみの心

人も、動物も、小さな虫も、

すべての生命が「やさしさ」を求めています。

自分を慈しむことから始めて、周りに少しずつ慈しみを広げていきましょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように🙏

チャンディマ長老

https://www.facebook.com/patisotaorg/photos/a.112583410081182/651930589479792

2022/01/21

慈しみ


瞑想は心を落ち着かせ清らかにするために必要なものです。

だからといって瞑想だけしていればいいというものではありません。

シンプルなことですが、

親を大切にすること、

周りの人が困っていたら助けてあげること、

自分の意見ばかり主張するのではなく、聴く耳を持つこと……

そういった慈しみを常に持って日々を過ごすことが大切です。

チャンディマ長老

2021/12/8「マインドフルネス:チャンディマ長老と心理学者の対談」より


2021/12/30

「Vulnerability(弱さ)の力」 by チャンディマ長老 │ ライブ法話のメモ


チャンディマ長老 法話「Vulnerability(弱さ)の力」

The Power of Vulnerability | Bhante Dr. Gangodawila Chandima

 2021年12月28日午前10時~(日本時間)



Sukhi Hotu(翻訳)


◎Vulnerabilityとは一般的に、脆弱、弱い、傷つきやすい、欠けているという意味で使われる。
社会の中では弱いがために強者の犠牲にならないよう気を付けなければならない。


◎Vulnerabilityには、社会的弱さ、認知的弱さ(偏見など)、環境的弱さ(気候)、感情的弱さ……などがある。マイナスの意味で使われることが多いが、別の意味もある。


◎仏教におけるVulnerabilityとは?


◎私たちは関係性の中で生きている。ひとりで生きていくことはできない。慈しみや思いやりの気持ちがなくてはならない。慈悲の実践をするとき、すべての人にたいして慈悲を送るとき、善いつながりの感覚を創造している。


◎生きとし生けるものにたいして慈しみを向けるとき、対象が誰かは知らないし、会ったこともない。そのため違和感を覚えるかもしれない。でも、そうした人にたいして慈悲を向けることによって、つながりの感覚が育まれる。


◎たとえば他者の幸せや成功を喜ぶとき(ムディター)、他者とのつながりを心で創り出し、育てている。会ったこともない人にたいしてムディターを抱くことはむずかしいこともかもしれないが、これは心を広く育ててくれる。


◎慈・悲・喜・捨のどれをとっても、善い人格を育てることができる。


◎これが涅槃へとつながる「原因」を作る。


◎仏法僧を尊敬すること、自分の心のエゴを認めて、三宝を理解し、謙虚に仏法僧に帰依すること、仏法を実践すること、これは一種のvulnerabilityであるが、ポジティブな意味。


◎Vulnerabilityは弱さであるが、これが自分の心の成長や強さにもつながる。


◎恐れは悪い恐れだけではなく、善い恐れもある(悪いことをするのが怖い、輪廻が怖いなど)。謙虚に善い恐れを受け入れることは、心を成長させる。


◎自分の心に他者にたいする壁があると、他者と(善い人や賢者とも)つながることができない。


◎心をオープンにして、新しいことを受け入れようとする心が必要。同時に慈悲も必要。慈悲によって「善」とつながることができる。


◎いやな人、苦手な人にも、考え方を変えることによって、慈悲を向けることができるようになる。


◎すべての生命は生老病死という身体的な弱さを抱えている。ブッダはすべての生命にそなわっている生老病死の弱さを発見し、そこから抜け出す方法を発見した。


◎弱さを退けるのではなく、そこから学び、理解することが大事。


◎人は弱いもの。だからこそブッダは「善い人とつきあいなさい。悪い人とつきあわないでください」と説いた。


悪い人に騙されないよう、悪いことに引っ張られないよう、心を守る理性が必要。


◎善にたいしては謙虚になる。善とは慈悲喜捨、道徳、瞑想など。毎日5分でも1分でも瞑想することは、自分の心を清らかにしてくれる。


◎涅槃に達するのに必要なことは、無常・苦・無我を理解すること。


◎すべては変化するがゆえに、心に不満が生まれる。またそこに「変わらない私」は存在しない。これを理解するためにも謙虚さが必要。


◎真理を知るためには謙虚さが欠かせない。傲慢な心で真理を理解することはむずかしい。


2022年が皆さまにとって善い年になりますように🙏

生きとし生けるものが幸せでありますように🙏


チャンディマ長老 法話「Vulnerability(弱さ)の力」 

The Power of Vulnerability | Bhante Dr. Gangodawila Chandima

2021/10/17

病を患っている人、病院にいる人たちが……

  1. 病を患っている人、病院にいる人たちが、
    安穏でありますように。
    幸せでありますように。
  2. 痛み、苦しみ、落ち込み、失望、不安、
    恐怖がなくなりますように。
  3. 心と身体が慈しみで満たされますように
Sabbe sattā bhavantu sukhitattā

2021/08/18

【瞑想会】読経と慈悲の瞑想 2021/8/28(土)





8月28日(土)18時30分より、チャンディマ長老による「読経と慈悲の瞑想」をオンラインzoomで開催いたします。

夕方のひとときを、読経と慈悲の瞑想で心穏やかにすごしませんか?
リラックスした場です。どうぞお気軽にご参加ください。


■ 内容(パーリ聖典より)
・三帰依・五戒・仏法僧の徳
・慈経(Metta Sutta)などいくつかのお経
・慈悲の瞑想(やさしい英語で行われ、日本語通訳が入ります)
・祝福のお経・廻向ほか


■ 指導 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
(Bhante Dr. Gangodawila Chandima)


■ 日時 2021年8月28日(土) 18時30分~
(1時間ほどの予定です。途中退席もご自由ですのでお気軽にお申し込みください)

■ お申し込み
8月28日16時までに下記フォームからお申込みください。
参加URL・ミーティングID・パスコードを27日中にお送りいたします。
(27日以降に申込まれた方は、28日の開始時間前までにお送りします)
参加フォームhttps://forms.gle/iRUeUfZ7TLm6j8YQ6


■ 読経の資料はこちらでご用意いたします。
お持ちの方は、ご用意の上ご参加いただければ幸いです。


■ ご喜捨:https://sukhi-hotu.blogspot.com/2020/01/support.html
チャンディマ長老(Paṭisota)の仏教活動、修行、衣食住薬のサポート、お布施をされたい方は、通信欄またはお名前の後に「お布施(オフセ)」とご記入をお願いいたします。お名前とともにチャンディマ長老にお届けいたします。
*Paṭisota(パティソータ)とは「世の中の流れ〈貪瞋痴〉と逆の流れ〈安穏〉の方へ向上する」という意味です。

Zoomによるオンライン開催になります。
ビデオONでご参加いただけますようお願いいたします。

初めての方も歓迎です。お気軽にどうぞご参加ください。

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【8月/ 9月の予定】
☆8月28日(土)18時30分~読経と慈悲の瞑想(第3回)
☆9月チャンディマ長老の法話会(第7回)「八正道④/正語」(詳細は近日中にお知らせいたします)
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チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Bhante Gangodawila Chandima