2020/03/13

ほんものの恐怖とは?1-1

お化けが怖い。先祖の霊が怖い。祟りが怖い。悪魔が怖い。隣の怪しいおじさんが怖い。通り魔が怖い。女が怖い。男が怖い。他民族が怖い。津波が怖い。噴火が怖い。自然災害が怖い。伝染病が怖い。交通事故が怖い。犯罪に巻き込まれるのが怖い。戦争が怖い。カルトの勧誘が怖い。宇宙人の侵略が怖い。世の中にはかくも多くの恐怖の対象があります。怪談やホラーとして娯楽にできるものはわずかで、多くの「怖いものリスト」は、私たちのリアルな悩み心配の種です。
あるとき、お釈迦様は「この世界で最大の恐怖とはなんですか?」という質問を受けました。最大の恐怖を知り、またそれを克服することができれば、私たちは何も恐れずに安心して楽しく生活できるはずです。気になるブッダの答えを学んでみましょう。(講演会サマリーより要約)


妄想で恐怖がどこまでも大きくなる

私たちはとにかく自分の妄想で恐怖をかき立てています。隣の怪しいおじさんが怖いなら、見ないふりをすればいいでしょう。通り魔が怖いなら、危険なところに行かなければいい。他民族が怖いというのは、人間の差別です。自分が生命を差別して勝手に怖がっているのです。津波や火山の噴火、自然災害が怖いという場合、これは自然のことだから人間にはどうすることもできません。伝染病は今ではほとんどありません。犯罪に巻き込まれるのが怖いのは、自分がだらしないだけでしょう。だらしないと、犯罪に巻き込まれる可能性があります。カルト勧誘が怖いという人も、だらしない。勧誘されたら断るか議論すればよいのです。宇宙人の侵略が怖いという人は映画の見すぎです。見ないでください。
 
このイントロダクションを見ても、私たちが怖いと言っているのは、結局いい加減で、くだらないことばかりです。祟りなんてあるわけないでしょ。自分の亡くなったおじいさんが自分の首を絞めようと霊界で待っているなんて、ありえない話です。結論として言えるのは、妄想すれば怖いものリストを無限大に作ることができるのです。
 
潔癖症という精神的な病気について考えてみましょう。この世界はそこら中、細菌だらけです。世界だけでなく、自分の口の中にも、腸の中にも、細菌がいっぱいです。その中で潔癖症でいることなど、とうてい無理な話です。それでもやるなら、徹底的にやってみてください。生きていけなくなります。ですから、どこまで妄想するのでしょうか。世の中にはたくさんの細菌がいます。それだけで話は終わりです。自分の妄想で潔癖症の病気になっているのです。
 
男が怖いとか女が怖い、人が怖いというのは、自分勝手にイメージを作って頭で妄想し、怖いと言っているだけです。誰かがあなたに目の前で「このやろう」と言ったなら怖いと思ってもいいのですが、ほとんどの場合、ただ感情で怖がっているのです。
そういうことで、恐怖感というのは精神的な病気なのです。
 
どのくらい怖いものがあるのかで、皆様の精神病の重さを測ることができます。なんでもかんでも怖いなら、かなり病気です。「私のアパートで人が自殺した。誰も部屋を借りてくれない。ずっと空き部屋になっている」と言う大家さんがいるとしましょう。私なら「半額にしてください。住みますから」と言います。そこで大家さんが「夜、その自殺した人が出てきて首を絞められますよ」と言ったら、「家賃が半額の方が楽じゃないですか」と言います。それに、本当に死んだ人が出てきたら楽しいと思います。外出するときも「ちゃんと留守番してください」と言って出かければよいのです。ですから心が明るい人には、ものごとをそういうふうに楽しく明るく考えることができるのです。
 
ということで、最初のポイントを憶えておいてください。怖いというのは、自分の妄想の結果です。妄想が原因なのです。



娯楽は、喜怒哀楽を妄想でかき回す


娯楽とは、喜怒哀楽の感情を妄想でかき回して再現することです。皆様は娯楽が好きでしょう。あれは病気になる感情を人工的にかき回しているのです。小説を読むとか、映画を見るとか、音楽を聞くとか、舞台を鑑賞するとか、そうやって精神病の感情をかき回しています。かき回して喜怒哀楽を感じるのです。
 
でも、考えてみてください。そこには何もありません。たとえば、映画はプロジェクターからスクリーンに光を映しているだけです。それを見て、楽しくなるわ、涙を流すわ、あの女優さんはなんて美人かと妄想します。何もないところに自分で妄想して、自分が病気になってしまったのです。仏教は娯楽には賛成しません。世間は娯楽中毒になっていますが、仏教は賛成していないのです。もし実際にきれいな人がいて「きれいだ」と思ったら、その場合は目の前にその人がいますから、いくらか仕方がないと言えます。でも、スクリーンに映った光に「きれいだ」と思い、頭がいかれることは、賛成できません。



恐怖のテーマを芸術作品にする


世間は「恐怖、不安、怯え、脅迫感」のテーマを芸術作品にしています。芸術作品というのは、恋物語だけではなく、エイリアンを登場させたりなど幻覚をいろいろ作って人々の感情をかき回しています。
映画を見て、すぐに忘れる人もいますが、引きずる人もいます。怖い映画を見て、それが頭にこびりつくとどうしますか。このような映画を作って金を儲けることは、正法に適った収入ではありません。人々を病気にさせて金を儲けていますから、これは強盗のようなものです。もしお弁当を作って五百円で売り、自分が百円の収入を得るなら、それは正法に適っています。自分も頑張りましたし、弁当を買った人もそれを食べて幸せになっていますから。そのお金は本当に力のある、自分に使える、簡単になくならないお金になるのです。私たちが誤解しているのは、お金というのは数字の桁が大きいほうがいいと思っていることです。そうではありません。
桁が大きくても、たいしたことはありません。全部無駄にする人もいます。桁が少なくても、無駄に浪費されず、なかなか消えない収入もあります。それは正法に適って、正しくダンマに従って、道徳を犯さずに得た収入です。お釈迦様は、在家の方は仕事をして収入を得なければならないとおっしゃいました。汗を流して努力して頑張らないといけないのです。
 
そういうわけで、世の中には人々の恐怖感をかき回す芸術があります。恐怖感の妄想をかき回して、なんでもないのに怯えて震えて精神的な病気に陥るために、私たちは喜んでお金を払っているのです。
(続きます)


スマナサーラ長老法話
Patipada1月号 根本仏教講義
「ほんものの恐怖とは?」

編集:出村佳子

生きとし生けるものが幸せでありますように