前回⑥では、お釈迦様が発見した恐怖が現れる原因についてお話しました。心が異常な欲や怒り、惛沈睡眠などで汚れていると、恐怖感が起こります。それらがなければ森や空き家などで一人で瞑想していても、どうといったことはないのです。
インド文化では新月と満月、半月は、オニやお化けが出る一番悪い日だと言われています。曜日で言えば、土曜日と水曜日は超怖い曜日です。
このように、文化というのは人に恐怖感を与えるのです。
インド文化の人々は、自分の国スリランカも同じなのですが、土曜日は必ず身体を浄めて神社や寺院に行きます。それでお祈りをして、お供えをして、帰るのです。
このように文化の影響で、この日が怖い、この日はオニが出る、この日には悪魔が出る、あの場所に何か恐ろしいものが出る、などと決められているのです。
現代的な言葉にすると、いわゆる「心霊スポット」と言われる場所があります。
お釈迦様は菩薩のとき、そういうところにわざと行きました。そのときはまだ悟っていないから弟子もいませんでしたし、たった一人で行ったのです。
例えば誰かに「半月の日に人を殺して、その血を吸うオニが出る」と聞いたら、あえてその日にその場所へ行きました。それも夜を選んで、朝までズーッとたった一人で瞑想しているんです。
人々が一番怖がる日を選んで、森の中で恐怖について調べたのです。
まだ悟っていませんから、夜、突然音がすると、おそらく驚いたでしょう。
でも怖がるのではなく、観察するんです。
それで「あ、枯れた枝が落ちたんだ」とわかるのです。
あるいは暗闇の中で目を閉じて坐って瞑想しているとき、自分の前を誰かがサーっと走って行く。オニかもしれません。
お釈迦様は「これは鹿が走ったのだ」と、そういうふうに観察しました。
それで「こんなことに人々は怯えているんだ」という結論に達するのです。
また、歩く瞑想をしているときに何か突然音が聞こえます。何かが突然ドカンと落ちたんです。
森というのは超うるさいところです。決して静かではありません。
日本の森は静かかもしれませんが、それとは違います。
個人的には森とか空き家はうるさくてしようがないんです。
例えばサルたちが高い木に登って何か実を食べて、殻や種をポトンと落とすんです。
そのように他の動物が食べたものとか動物の死骸とか、坐って瞑想している自分の膝の上に落ちてきたらどうでしょうか?
何も見えないし、真っ暗だし、怖くなるでしょう。お釈迦様もビビッたことでしょう。
でも少しでも心が動揺したら、お釈迦様は直ちに、その場でそれをなくす訓練をしたのです。
立っているときでも歩いているときでも、何か恐怖感が生じたら、その瞬間それを観察するのです。こういうことでこうなったと。
暗い中、歩いているときに落ちている枝に足がちょっと引っ掛かったらどうなりますか?
暗いから見えませんが、ヘビを踏んだかもしれません。
もしそうだったらどうしますか?
噛まれるかもしれないと怖くなるでしょう。
お釈迦様は「足が何かに引っ掛かった」と、それを観察するのです。
それで、ヘビではなく枝に引っ掛かったことがわかるのです。
このように、お釈迦様は心が少しでも動揺したら、それをなくす訓練をしました。逃げることや安全なところを探すことはしなかったのです。
私たちはどうしますか?
すぐに逃げます。
例えば子どもが何か怖いことがあったらすぐに「おかーちゃーん」と言って逃げるでしょ。
安全な場所に逃げるのです。
あれでは恐怖感に勝つことはできません。みんなそうしているのです。
仏教の修行者は、死人が怖い、遺体が怖いと思ったら、あえて夜一人で、遺体捨て場に行くのです。
インドには、遺体を捨てるという習慣がありました。
貧しい人の遺体は火葬しないで捨てるのです。
遺体捨て場は、人がいない寂しいところにあります。
村から何キロも離れたキツネやオオカミなど野生動物がいるところに遺体を捨てるのです。
野生の動物はテレビで見るとかわいいですが、本当はものすごく怖いのです。襲いかかって噛みついてきます。
そういう野生の犬やキツネ、オオカミたちが遺体をバクバク食べているところに夜行って、じっと坐って研究したのです。「いかに恐怖感が現れるのか?」と。
そこで発見したのが、前号でお話した12の項目です。本当は身口意を入れると15の項目になります。
心が欲や怒りで汚れていると、恐怖感が出ます。それがなければ、どうということはありません。