Sattosaṃsāramāpādi, dukkhamassamahabbhaya’’nti.
お釈迦様は四聖諦を語りました。その一番目が苦聖諦。いわゆる生きることが苦であると。これは大胆な言葉です。
すべての人は「生きることは楽しいことだ」と考えています。研究しないで勝手に決めているんです。
でも、生きることを客観的に、科学的に観るならば、苦であることがわかるでしょう。
生きる場合は、生老病死と愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五取蘊苦という四苦八苦が確実にあります。これが人生です。
年をとらなければ、生きていられません。細胞は年をとります。
病気は細胞に根本的にあるもので、細胞一個一個に病気がそなわっているのです。
ですから、命とは生老病死です。それらは好ましいものではありません。
24時間頑張らなくては生きられないのです。これに終わりはありません。
布団に入ったからといって休んでいるわけではなく、生き続けています。
夢を見たり、いびきをかいたり、寝返りを打ったり、いろいろなことをしています。寝ているときでも体調が悪くなったりして、苦しいのです。
どこまでやるのでしょうか? 終わりがありません。やってやってやり続けています。
自分に聞いてみてください。何回お風呂にはいればいいのでしょうか? 何回歯を磨けばいいのでしょうか? 歯はある限りと言っても、歯がなくなったら入れ歯にしますから、その手入れをしなくてはいけないでしょう。終わらないのです。
ですからお化けが怖いではなく、生きることが怖いのです。これが最大の恐怖です。
生きることが苦なら、生きることへの愛着を捨てなければなりません。
生きることは苦から苦への連続です。私が立ったり座ったりしているのは、苦がやらせているのです。
幽霊が怖い、あれが怖い、これが怖いではなく、私自身が怖いんです。
自分に愛着があるから幽霊が怖いんです。幽霊が「うれめしや~」と言ってきても、「その言葉は聞き飽きた。あんたに他の曲はないの?」と言えばよいのです。
本当のところは私自身が恐怖のかたまりであって、生きることが恐怖です。
ですから生きることにたいする愛着を捨てるべきなのです。
(続きます)