差別「仏教から見る女性①」から続きます。
女性の社会的地位
仏教が始まる以前の社会では、女性はどのような地位におかれていたのでしょうか?
これはヴェーダ文献のなかでも最も古い『リグ・ヴェーダ』までさかのぼって調べることができます。
この『リグ・ヴェーダ』には、「女性は家庭では尊敬されており、宗教面でも神や梵天など崇高な智慧に達していた」と記されています。
しかしこのような女性に対する公平な見方は、時の流れとともに変化してゆきました。
カースト制度の影響です。
動物の生け贄などさまざまな儀式儀礼が重要視され、司祭者階級たるバラモン階層に、社会は支配されてしまったのです。
聖典が新たに書き直されました。
身体的にも精神的にも女性は男性よりはるかに劣ると考えられるようになったのです。
女性は軽蔑され、単なる所有物やモノとして扱われるようになりました。
家庭に隔離され、夫の好き勝手にされていました。朝から晩まで家事に縛られ、そのうえ大家族を支えなければならなかったのです。
また結婚して妻といっしょに暮らしているにもかかわらず、女性がつくる食事は不浄であり、食べるにはふさわしくないと考えるバラモン人もいました。
「女性は罪なるもの」と考えられ、その害から免れる唯一の方法が、子供を産み育て、休むことなく家事に従事すること、という迷信がつくりあげられたのです。
もし結婚した第1夫人に男の子を産むことができなければ、第1夫人としていることはできず、2番目か3番目に降ろされます。あるいは家から追い出されるのです。
それは、一族の血の純潔を守り、先祖供養を執りおこなうことは息子だけにしかできないという伝統があったからです。
先祖供養は、死んだ父や祖父に幸福をもたらすために絶対欠かしてはならない儀式でした。
もし供養をしなければ、死んだ先祖たちが幽霊となって家族を苦しめるであろうと考えられていたのです。
結婚した女性の生活はまったく不安定でした。
未婚の女性の場合、状態はさらにひどかったのです。
結婚は神聖な儀式であるとみなされていたので、結婚しない女性たちは社会からひどく非難を受け、軽蔑されたのです。
このように、かつて宗教の世界で女性が得ていた高い地位は貶められました。
「女性は死後、天国にいくことができない」と考えられ、礼拝することも禁止されました。
天国にいける唯一の方法は、どんなに行状の悪い夫でも無条件で夫に服従すること、と信じられるようになったのです。妻は夫の食べ残したものを食べて生きていました。
女性に対する激しい差別がインドの社会全体に広がっている最中、ブッダが現れました。ブッダは生と死の真理である因果法則と輪廻転生を説かれました。
この教えによって、当時の人々が抱いていた女性に対する偏見的な態度が大きく変わったのです。
因果法則とは「生命は自分の行為と、その結果に責任を負う」という教えです。
たとえ息子や孫息子が先祖供養の儀式をおこなっても、それによって父や祖父が幸福になることはありません。それぞれが自分自身の行為の報いを受けるのですから。
この智慧の教えによって、多くの人々は自分の誤った見解を正すことができました。
当然、先祖供養をおこなうための息子を産めなかった女性たちの不安も軽減しました。
ブッダの時代の初期の頃、悪い行為をせずに喜んで両親と弟や妹たちの面倒をみることに従事していた未婚の娘がいました。金細工師の娘、スバ(Subha)です。彼女には巨大な財産があり、奴隷の主人でもあり、豊かな土地の所有者になれるほど裕福でした。
けれども、マハーパジャーパティー(Mahapajapati)の説法を聞いたスバは、どんな快楽も一瞬で消え去ってゆくという性質を知りました。そして「金銀によって心の安寧や悟りは得られない」ということをはっきり理解しました。その後、出家して比丘尼サンガに入ったのです。このスバの出家は未婚の女性たちに大きな影響をもたらしました。
ブッダの教えは、多くの人々の心から、数々の迷信や無意味な儀式儀礼(動物の生け贄など)の執行を一掃するのに大いに役立ちました。
宇宙を支配している「生死の真理」と「現象の本質」が明らかにされ、人々に智慧と理解が現れたのです。
この智慧と理解によって、当時社会にはびこっていた女性に対する激しい不公平や偏見が阻止され、正されました。
こうして女性たちは自分の人生を自らの力で導くことができるようになったのです。
(続きます)
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出村佳子(訳)
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生きとし生けるものが幸せでありますように