2015/05/31

Patipada6月号

  Patipada』 (パティパダー)
  翻訳連載 : 仏教Q&A 『ただ
 坐だけでいいのか?』 (バンテ
 ・H・グナラタナ著/出村訳より
ヴィパッサナーは、気づきの実践です。
でも、ただ気づいていればいいということでもありません。
自分の行為に100パーセント鋭く気づくことができたとしても、
まったく智慧があらわれない場合もあるのです。

たとえば、野生のネコやトラは獲物を捕らえようとするとき、
獲物にたいして全注意を向けています。
でも、智慧はあらわれません。なぜでしょうか? 

野生の動物が獲物を狙って鋭く注意を向けているとき、
そこにあるのは、ただの注意――
いわゆる、不善の注意だからです。

ヴィパッサナーを実践するときには、 
気づきを働かせ、
対象にたいして100パーセント注意を注ぎます。
その気づきには、欲も、怒りも、無知も入っていません。
心は明晰になります……
このようにして、心の諸現象を観察する能力が育つのです。