◎この法話は『パティパダー 2025年4月号 根本仏教講義』に掲載されなかった貴重な法話です。
この経典は解脱を目指して修行に励んでいる出家修行者たちに、どこに集中して、どこを観察すればよいかとポイントをまとめて、一つのテキストみたいにしています。だから、すごく短く語らなくてはいけないのです。短く語って、それを覚えておき、簡単に思い出せるようにしているのです。いわゆる修行中はちょっとでも心が乱れたり、心が他の方に行ってしまった瞬間で、この教えを思い出せますから、すぐに修行に戻ることが出来るのです。
見事にまとめた言葉のフレーズ
そういうのをサンスクリット語で sūtra(スートラ)と言います。Sūtra(スートラ)と似ている単語は mantra(マントラ)です。今はどちらも意味がなくなってしまい、脱線して、人間の生活と同じく何をやっているのか分からない状態になっているのです。
Sūtra(スートラ)
スートラというのは、見事にまとめた言葉のフレーズです。だからそれはすごく短い。短いから言葉を精密に選んで並べなくてはいけないのです。
四字熟語みたいな感じです。漢文化は俗世間を讃嘆することばかりですが、それでも生きることに役に立つフレーズというのは、あることはあります。そういうのをスートラといいます。マントラも同じ意味なのです。
Mantra(マントラ)
マントラの場合は、同じスートラをすぐに口ずさむというか、いつでも口うるさく使ってくださいというものです。
あるいは、頭の中で「あ、こういうことだ」と思い出す。
マントラの本当の意味は、「真理を論理的に考えて出した結論」という意味です。
今使っている「呪文」という意味は元々なかったのです。迷信が入り、いろいろな原始的な考えが入り込んでしまって、汚れて汚れて、今のマントラ(呪文)になってしまいました。非科学的で、非仏教的なものとなり、マントラ(呪文)は使ってはならないものになったのです。なぜなら呪文は無知そのものだから。
その汚れたマントラ(呪文)ではなく、人々を導く、アドバイスになる、戒めになる短い言葉(マントラ)は、サンスクリット文献にはいくらでもあります。
ヴェーダ聖典の言葉にも、マントラと言います。バラモンの人々はそれを唱えなくてはいけないのです。唱えると、何か真理に近づくだろうと信じています。しかし文学として読んでみると、それは詩人たちが作った詩集になっているのです。
お釈迦様の言葉も厳密にいえばスートラであり、マントラなのですが、スートラは使いますが、マントラという言葉は使わないことにしたのです。理由は、危ないのだから。マントラは迷信や神秘に絡み、祈祷、儀式などに絡んでいます。科学的で理性的に語っている仏教の教えにマントラと言った途端、みな間違って理解してしまいます。それがあったのだから、マントラという言葉は使わないことにしたのです。
あれほどブッダと初期時代の阿羅漢たちが気を付けていたのに、後で仏教の宗派としてマントラヤーナが出てきました。マントラヤーナは元々のサンスクリット語では、秘密(guhya)です。言葉というのは共通財産だから、仏陀が恐れていた、こうなってはならないということが、そこでやられてしまったのです。
だから、仏教の経典も、しいて言えばスートラでありながらも、元の意味で言うマントラというカテゴリーに入ります。これは御利益を目指して、カエルみたいにゲロゲロゲロゲロと唱えるものではないのです。言葉の意味を理解して、修行でやる気がなくなったときに、すぐに自分を奮い立てて励むための言葉なのです。
この経典は「Itivuttakapāli」というテキストに入っています。これは「如是語」と訳され、「このように言われた」という意味です。これはスートラやマントラという言葉を避ける努力なのです。昔の阿羅漢たちは仏教が迷信に脱線しないよう、迷信に落ちないよう、宗教にならないようにと、よく気を付けていました。純粋で科学的な実践に閉じ込めておこうと頑張ったのです。当時の人はものすごい迷信に凝り固まって生活していたのです。
そういうことで、「如是語」というのは、スートラであり、マントラでもあります。でも、現代はスートラとマントラの元の意味はもう完全に忘れています。元の意味は死んでしまったのです。
しかし、スリランカの学校で、科学とか数学の授業では、いろいろな方程式などにスートラという単語を使っています。だから学生はそれを暗記するしかありません。暗記して自分の研究や勉強に使用するのです。
数学ではけっこう大量にあるでしょうし、化学でも、物理学でもけっこうあるのです。法則を見つけたら、それはこの法則だと数字や文字を使って短いフレーズで表現します。それもスートラなのです。
だからスリランカの学生たちは「これもスートラだよ」と思って、「スートラ」とか「フォーミュラ」という言葉を使っています。でも、マントラという言葉は使わないのです。
(了)