「慢」とのつきあい方①-1
第1章 「慢」とは何か?
今回のテーマは「慢とのつきあい方」です。「慢」は、なかなか消えない煩悩です。慢にはいくつかの種類がありますが、大きく分けると「慢」「卑下慢」「同等慢」の3つになります。パーリ語で「mana」(マーナ)と言います。日本語の意味は、「はかる」ことです。これには「測る、量る、計る」などいくつかの漢字が当てられます。
何を測るのか?
「慢」というのは、自分を測ることです。体重計に乗って身体の重さを量ることではありません。自分の存在を測ることです。
天秤というハカリがありますが、これは物の重さを比較して重さを測定するものです。竿(さお)の中点を支点にして両端に皿をつるし、一方に分銅を、他方に測定するモノを乗せて測ります。
自分の存在を測る場合には、天秤の一方の皿に分銅としての「自分」を乗せ、もう一方の皿には「他人」を乗せます。このとき、誰を乗せるのかは不確定です。たいてい人を乗せます。イヌやネコは乗せないでしょう。他人を乗せて、測るのです。
この自分と他人を測ることを「慢」といいます。自分のエゴや存在感を測ります。私とはいったい何者かと、自分の存在感を他人と比較して測るのです。これが「慢」です。
誰と測るのか?
では、誰と測るのでしょうか?
「会う人」と測ります。私たちはいつでも「会う人」と「自分」とを測っているのです。だから大変です。きりがなく、終わりがありません。人と会うたびに、ハカリにのせて、「自分はこの程度」と測っているのです。
3つのカテゴリー
次に、測ったものを3つのカテゴリーに入れます。自分の存在を「重い・等しい・軽い」という3つのカテゴリーに測って決めるのです。ここではハカリの例で説明していますから、「重い・等しい・軽い」という言葉を使いますが、自分の存在を測る場合は物質的なハカリは使いませんから、この言葉も使いません。それに合う適切な言葉を使うのです。
たとえば「美しさ」を測る場合は、「自分よりも美しい・自分と同じ・自分よりたいしたことない」などの言葉を使います。
学会やシンポジウムで意見を発表したり討論したりするときには、他人を見て「あの人はどのくらい頭がいいのか」と頭の能力を測ります。このとき別に、ネクタイはどんなメーカーか、服はどんなブランドか、高価か、安いか、といったことは全然気にしません。その人の知識能力はどの程度か、頭がいいか悪いか、ということを測ります。この場合、「自分より頭がいい・自分と同じ・自分よりたいしたことない」の三つのカテゴリーで測るのです。
測る相手は不特定多数
このように、値(あたい)は、大きく分けると3つになります。この値も、けっして一定しているものではありません。
「自分」という一つの品物を一方の皿に乗せ、もう一方の皿には、その都度その都度「不確定多数の人」を乗せるのですから、そのたびに自分の値は変わっていきます。これにはきりがありません。
家族だったらメンバーは決まっていますから、「自分の価値はこの程度」とはっきりしています。「私の価値はこのくらい」とバーコードで貼っているため、測る必要はありません。それで誰でも家族のなかにいると落ち着くのです。
そこで、学校に行くと友だちがたくさんいますから、入学当初は測りっぱなしの状態になります。不安で、緊張します。でも、友だちの数には限りがあるため、一か月や数か月たつと、だいたい自分の値が出てきます。それで落ち着いて、学校が楽しくなるのです。
しかし、いつまでも学校のような狭い環境で生きていられるわけではありません。やがて卒業して社会に出なければなりませんし、社会には不特定多数の人がいるのです。
そういうわけで、私たちはずっと測って、測って、もうくたびれるのです。基準値はありませんし、一定していません。常に揺れています。測るたびに、自分の値が変わるのです。(続きます)