kaṅkhī vicikicchī
疑があって、心は疑問だらけ
いつでも、「本当ですか?」「どうでしょうか?」「信じられない」「嘘ついていない?」などと疑っている状態です。
わかりやすくいえば、本人に何も理解することができないのです。
それで、ああでもない、こうでもないなどと疑問中心の妄想で心がいっぱいになります。
この疑いを、理性的な疑いと混同してはいけません。
理性的な疑いを抱く人には、判断能力があります。
データを調べて、真偽を自分で決めるのです。
ひとには理性的な疑いが必要です。
ここで言う「疑」は不善心所で、理解能力もないし、理解しようとする努力もしません。
「何を言っているのかさっぱりわかりません」という状態に、いつでも止まるのです。
このような性格の人も、出家して孤独生活になったら、わずかな出来事に遭遇しても恐怖感に襲われるのです。
(続きます)
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【目 次】ほんものの恐怖とは?
スマナサーラ長老 法話「ほんものの恐怖とは?」
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように