私たちは生きることに愛着を持っています。生きていきたいと思っています。
理由は?
生きることは楽しいから、と言います。でも本当は……
怖いからなのです。
なぜ仕事に行くのでしょうか?
仕事に行かなかったら怖いからでしょう。
なぜ収入が欲しいのですか?
お金がなかったらやばいからでしょう。
スーパーで買い物をするとき、なぜ商品の賞味期限を見るのでしょうか?
怖いからでしょう。原材料が表示してあるところに「この商品の製造工場では小麦・乳・卵・ビーナッツ・そばを含む製品を製造しています」などと警告しているものもあります。アレルギーのある人にとっては、それを食べることは命に関わる場合もあります。
では、どこまで気をつければいいのでしょうか?
パンもケーキも食べられませんし、調べて調べて調べまくらなければいけないのです。
なぜ服を着るのかというと怖いからです。
なぜ靴をはくのかというと怖いからです。
なぜ家を建てるのかというと怖いからです。
生きるためには仕事をしなければなりませんし、勉強をしなければなりません。結婚もしなければなりません。やらなかったら?
怖いのです。
そこに解決策はありません。
勉強したからといって、結婚したからといって、恐怖感は消えません。
何も保証はないのです。
大企業に就職したからといって、これで安心だとは言えません。
みんな頑張っています。なぜかというと怖いからです。
なぜ奥さんの機嫌をとろうとしているのかというと怖いからです。
なぜ子どもの機嫌をとって楽しませようとしているのかというと、そうしなかったらどんな結果になるかわからないからです。子どもを無視したらすごく怖いのです。
出かけるときは、電気を消して、窓を閉めて、鍵をかけます。
怖いからです。
横断歩道を渡るときは右を見て、左を見て渡ります。
なぜそんなことをするのかというと、怖いからなんです。
日本では電車に乗るときはちゃんと並んでいます。
銀行や郵便局に行っても番号札をとってちゃんと待っています。
なぜそんなに行儀よく待っているのかというと、怖いからなんです。
全部恐怖感です。生きることそのものが恐怖感なのです。
だったら、愛着を捨てましょう。何にも愛着のない心が、自由自在なんです。
何か変化しても、なんのこともありません。
愛する人が亡くなっても、「誰でも死にますから」と落ち着いていられるのです。
「死んでほしくない」と思ったら恐怖感が生まれます。
「死は自然の流れだ」と思ったら、安穏でいられるのです。
そういうことで、最大の恐怖感は生きることです。
生きることは苦です。
これがお釈迦様の最終的な結論です。
(了)
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スマナサーラ長老 法話「ほんものの恐怖とは?」
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように