2022/01/06

パーリ聖典読経

 パーリ聖典読経


 

1.礼拝(ブッダへの尊敬)



Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa.

ナモー タッサ バガヴァトー アラハトー サンマー サンブッタッサ(3回)

阿羅漢(煩悩を滅尽した方)であり、正自覚者(完全に目覚めた方)であり、福運に満ちた世尊に、私は礼拝いたします。(3回)


2.三帰依
(仏法僧を信頼し、心のよりどころにする。よりどころ=
帰依)

Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi. 
ブッダン サラナン ガッチャーミ
私はブッダに帰依いたします。

Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi. 
ダンマン サラナン ガッチャーミ
私は法(真理)に帰依いたします。

Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi. 
サンガン サラナン ガッチャーミ
私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。

Dutiyam pi Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi. 
ドゥティヤン ピ ブッダン サラナン ガッチャーミ
ふたたび、私はブッダに帰依いたします。

Dutiyam pi Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ドゥティヤン ピ ダンマン サラナン ガッチャーミ
ふたたび、私は法(真理)に帰依いたします。

Dutiyam pi Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
ドゥティヤン ピ サンガン サラナン ガッチャーミ
ふたたび、私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。

Tatiyam pi Buddhaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
タティヤン ピ ブッダン サラナン ガッチャーミ
みたび、私はブッダに帰依いたします。

Tatiyam pi Dhammaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
タティヤン ピ ダンマン サラナン ガッチャーミ
みたび、私は法(真理)に帰依いたします。

Tatiyam pi Sanghaṃ Saraṇaṃ Gacchāmi.
タティヤン ピ サンガン サラナン ガッチャーミ
みたび、私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。


3.五戒(五戒を守ることで、心は解放され、自由になります)

Pāṇātipātā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
パーナーティパーター ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミー
私は「生き物を殺さない」という戒めを受けて守ります。


Adinnādānā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
アディンナーダーナー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミー
私は「与えられていないものを取らない」という戒めを受けて守ります。


Kāmesu micchācārā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
カーメース ミッチャーチャーラー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミー
私は「邪な行為をしない」という戒めを受けて守ります。


Musāvādā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
ムサーワーダー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミー
私は「嘘をつかない」という戒めを受けて守ります。


Surāmeraya Majjapamādaṭṭhānā veramaṇī sikkhā padaṃ samādiyāmi.
スラーメーラヤ マッジャパマーダッターナー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミー
私は「放逸の原因となるもの
を摂らない」という戒めを受けて守ります。


4.仏法僧の徳

仏(ブッダ)の九徳(Buddha Vandanā)

Iti pi so bhagavā Arahaṃ Sammā sambuddho
イティ ピ ソー バガワー アラハン サンマー サンブッドー
世尊は、阿羅漢(煩悩を滅した方)
であり、
正自覚者(
完全に悟り、その道を他者に教えられる方)であり、

Vijjā-caraṇa sampanno Sugato Lokavidū
ヴィッジャーチャラナ サンパンノー スガトー ローカヴィドゥー
明行具足者(8
の智慧と15の行〈性格に関する徳〉がそなわっている方)であり、
善逝(
涅槃に達し、善く修行を完成し、正しく善い言葉を語る方)であり、
世間解(
宇宙・衆生・諸行の3世界を知り尽くした方)であり、

Anuttaro purisa damma sārathi
アヌッタロー プリサ ダンマ サーラティ
無上の調御丈夫(
人を指導することにおいては無上の能力を持つ方)であり、

Satthā deva manussānaṃ Buddho Bhagavā ti.
サッター デーワ マヌッサーナン ブッドー バガワー ティ
天人師(
人間・神々など一切衆生の師)であり、
覚者(真理に目覚めた方)であり、
世尊(
すべての徳福をそなえた方)です。


法(ダンマ)の六徳(Dhamma Vandanā)

Svākkhāto bhagavatā dhammo
スワーッカートー バガワター ダンモー
世尊の法は善く、正しく説かれた教えです。

Sandiṭṭhiko Akāliko
サンディッティコー アカーリコー
実証できる教えです。
普遍性があり、永遠たる教えです。

Ehipassiko Opanayiko
エーヒパッスィコー オーパナイコー
誰でも「来て試してください」と言える確かな教えです。
実践者を涅槃へ導く教えです。

Paccattaṃ veditabbo viññūhī ti.
パッチャッタン ヴェーディタッボー ヴィンニューヒー ティ
賢者たちによって各自で悟られるべき教えです。


僧(サンガ)の九徳(Sangha Vandanā)

Supaṭipanno bhagavato sāvakasaṅgho
スパティパンノー バガワトー サーワカサンゴー
世尊の弟子である僧(僧団)は正しい道を実践するものであり、

Ujupaṭipanno bhagavato sāvakasaṅgho
ウジュパティパンノー バガワトー サーワカサンゴー
まっすぐの道(涅槃への直道)を歩むものであり、

Ñāyapaṭipanno bhagavato sāvakasaṅgho
ニャーヤパティパンノー バガワトー サーワカサンゴー
涅槃を目指して修行するものであり、

Sāmīcipaṭipanno bhagavato sāvakasaṅgho
サーミーチパティパンノー バガワトー サーワカサンゴー
尊敬に値する道を実践するものです。

Yadidaṃ cattāri purisayugāni aṭṭhapurisa puggalā
ヤディダン チャッターリ プリサユガーニ アッタプリサ プッガラー
四双八輩という八類
(悟りの段階)に属し、聖者の位を得た方です。

Esa bhagavato sāvakasaṅgho
エーサ バガワトー サーワカサンゴー
この世尊の弟子(声聞)である僧は、

Āhuneyyo Pāhuneyyo Dakkhiṇeyyo Añjali karaṇīyo
アーフネイヨー パーフネイヨー ダッキネイヨー アンジャリ カラニーヨー
遠くから持ってくるものを受けるに値し、
来客として接待を受けるに値し、
徳を積むために供えるものを受けるに値し、
礼拝を受けるに値する、

Anuttaraṃ puññakkhettaṃ lokassā ti.
アヌッタラン プンニャッケッタン ローカッサー ティ
世の無上の福田です。


Photo by Chandima Gangdawila


5.諸仏の教え(Buddhāna sāsanaṃ)

Sabba pāpassa akaraṇaṃ
kusalassa upasampadā,
Sacitta pariyodapanaṃ
etaṃ Buddhāna sāsanaṃ.

サッバ パーパッサ アカラナン
クサラッサ ウパサンパダー
サチッタ パリヨーダパナン
エータン ブッダーナ サーサナン

一切の悪い行為をおこなわないこと、
善に至る(善行為をおこなう)こと、
自分の心を清らかにすること、
これが諸仏の教えです。


6.懺悔(Khamāyācanā)

Kāyena vācā cittena pamādena mayā kataṃ 
Accayaṃ khama me bhante Bhūripañña Tathāgata.

カーイェーナ ワーチャー チッテーナ パマーデーナ マヤー カタン. アッチャヤン カマ メー バンテー ブーリパンニャ タターガタ

私が犯した身口意のあやまちを、智慧者ブッダたいして懺悔いたします。


Kāyena vācā cittena pamādena mayā kataṃ 
Accayaṃ khama me Dhamma sandiṭṭhika akālika.

カーイェーナ ワーチャー チッテーナ パマーデーナ マヤー カタン. アッチャヤン カマ メー ダンマ サンディッティカ アカーリカ

実証できる普遍的な真理(ダンマ)にたいして、
私が犯した身口意のあやまちを懺悔いたします。


Kāyena vācā cittena pamādena mayā kataṃ 
Accayaṃ khama me Saṅgha supaṭipanna anuttara.

カーイェーナ ワーチャー チッテーナ パマーデーナ マヤー カタン. アッチャヤン カマ メー サンガ スパティパンナ アヌッタラ.

無上なる正道を実践する僧団にたいし、
私が犯した身口意のあやまちを懺悔いたします。


7.誓願(Aspiration)

Imina puñña kammena Māme bāla samāgamo, Satam samāgamo hotu Yāva nibbãna pattiyā.

イミナー プンニャー カンメーナ
マーメーバーラーサマーガモー.
サタン サマーガモー ホートゥー
ヤーワ ニッバーナ  パッティヤー.






8-1 吉祥経 Mangala suttaṃ

Evaṃ me sutaṃ:

エーワン メー スタン

Ekaṃ samayaṃ Bhagavā Sāvatthiyaṃ viharati Jetavane

エーカン サマヤン バガワー サーワッティヤン ヴィハラティ ジェータワネー

Anāthapiṇḍikassa ārāme.

アナータピンディカッサ アーラーメー

Atha kho aññatarā devatā abhikkantāya rattiyā abhikkantavaṇṇā

アタ コー アンニャタラー デーワター アビッカンターヤ ラッティヤー アビッカンタワンナー

kevalakappaṃ Jetavanaṃ obhāsetvā yena Bhagavā ten' upasaṃkami,

ケーワラカッパン ジェータワナン オーバーセトゥワー イェーナ バガワー テーヌパサンカミ

upasaṃkamitvā Bhagavantaṃ abhivādetvā ekamantaṃ aṭṭhāsi.

ウパサンカミトゥワー バガワンタン アビワーデトゥワー エーカマンタン アッタースィ

Ekamantaṃ ṭhitā kho sā devatā Bhagavantam gāthāya ajjhabhāsi:

エーカマンタン ティター コー サー デーワター バガワンタン ガーターヤ アッジャバースィ

以下のように私は聞いております: 

ある時世尊は舎衛城の祇樹給孤独園にお住まいでした。

その時、一人の容色麗しい天人が夜半過ぎに、祇園をくまなく照らして世尊のおられる処に近付きました。 近付いて、世尊に礼拝して、一方に立ちました。 さて、一方に立ったその天人は、世尊に詩偈しげによって申し上げました:

“Bahū devā manussā ca maṅgalāni acintayuṃ

バフー デーワー マヌッサー チャ マンガラーニ アチンタユン

ākaṅkhamānā sotthānaṃ, brūhi maṅgalam uttamaṃ.”

アーカンカマーナー ソッターナン ブルーヒ マンガラムッタマン

たくさんの天人や人々が、幸福を願って吉祥なものごとを考えてきました。 最上の吉祥をお説きください。

“Asevanā ca bālānaṃ paṇḍitānañ ca sevanā

アセーワナー チャ バーラーナン パンディターナン チャ セーワナー

Pūjā ca pūjaneyyānaṃ, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

プージャー チャ プージャネイヤーナン エータン マンガラムッタマン

愚者たちに親近せず、賢者たちに親近すること、供養するにふさわしい人を供養すること、これが最上の吉祥です。

Paṭirūpa-desa-vāso ca pubbe ca katapuññatā

パティルーパデーサワーソー チャ プッベー チャ カタプンニャター

Attasammāpaṇidhi ca, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

アッタサンマーパニディ チャ エータン マンガラムッタマン

適切な処に住むこと、以前に為された福業(善行為)、自己について正しく志向すること、これが最上の吉祥です。


Bāhusaccañ ca sippañ ca vinayo ca susikkhito

バーフサッチャン チャ スィッパン チャ ヴィナヨー チャ ススィッキトー

Subhāsitā ca yā vācā, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

スバースィター チャ ヤー ワーチャー エータン マンガラムッタマン

たくさん聞き学ぶこと、技芸、善く身についている躾、言葉が善く語られること、これが最上の吉祥です。


Mātāpitu-upaṭṭānaṃ puttadārassa saṅgaho

マーターピトゥ ウパッターナン プッタダーラッサ サンガホー

Anākulā ca kammantā, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

アナークラー チャ カンマンター エータン マンガラムッタマン

父母に孝行すること、妻子への責任を果たすこと、混乱のない仕事をすること、これが最上の吉祥です。


Dānañ ca dhammacariyā ca ñātakānañ ca saṅgaho

ダーナン チャ ダンマチャリヤー チャ ニャータカーナン チャ サンガホー

Anavajjāni kammāni, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

アナワッジャーニ カンマーニ エータン マンガラムッタマン

布施、教法に適う行い、親族への責任を果たすこと、とがのない行為、これが最上の吉祥です。


Ārati virati pāpā majjapānā ca saññamo

アーラティ ヴィラティ パーパー マッジャパーナー チャ サンニャモー

Appamādo ca dhammesu, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

アッパマードー チャ ダンメース エータン マンガラムッタマン

悪法から離れ去ること、飲酒を自制すること、教法において怠けないこと、これが最上の吉祥です。


Gāravo ca nivāto ca santuṭṭhī ca kataññutā

ガーラヴォー チャ ニワートー チャ サントゥッティー チャ カタンニュター

Kālena dhammasavanaṃ etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

カーレーナ ダンマサワナン エータン マンガラムッタマン

尊敬、謙譲、足るを知ること、恩を知ること、適時に教法を聞くこと、これが最上の吉祥です。


Khantī ca sovacassatā samaṇānañ ca dassanaṃ

カンティー チャ ソーワチャッサター サマナーナン チャ ダッサナン

Kālena dhammasākacchā, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

カーレーナ ダンマサーカッチャー エータン マンガラムッタマン

忍耐すること、素直に聞くこと、沙門たちを見習うこと、適時に教法について話し合うこと、これが最上の吉祥です。


Tapo ca brahmacariyañ ca ariyasaccāna dassanaṃ

タポー チャ ブラフマチャリヤン チャ アリヤサッチャーナ ダッサナン

Nibbānasacchikiriyā ca, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

ニッバーナサッチキリヤー チャ エータン マンガラムッタマン

修行をすること、聖者にふさわしい行為、四聖諦を観ること、涅槃をありありと覚ること、これが最上の吉祥です。


Phuṭṭhassa lokadhammehi cittaṃ yassa na kampati

プッタッサ ローカダンメーヒ チッタン ヤッサ ナ カンパティ

Asokaṃ virajaṃ khemaṃ, etaṃ maṅgalam uttamaṃ.

アソーカン ヴィラジャン ケーマン エータン マンガラムッタマン

世間のものごとに触れても、心が動揺しないこと、憂いがなく、汚れがなく、安らかであること、これが最上の吉祥です。


Etādisāni katvāna sabbattha-m-aparājitā

エーターディサーニ カトゥワーナ サッバッタマパラージター

Sabbattha sotthiṃ gacchanti, taṃ tesaṃ maṅgalam uttamaṃ.”

サッバッタ ソッティン ガッチャンティ タン テーサン マンガラムッタマン

以上のようにおこなって、いかなる処でも打ち負かされず、あらゆる処で平安を得る、それが彼ら[人・天]にとっての最上の吉祥です。


8-2 宝経 Ratana Suttaṃ

1.

Yānīdha bhūtāni samāgatāni bhummāni vā yāni va antalikkhe,

ヤーニーダブーターニ サマーガターニ ブッマーニ ワー ヤーニ ワ アンタリッケー

sabbeva bhūtā sumanā bhavantu; athopi sakkacca suṇantu bhāsitaṃ.

サッベーワ ブーター スマナー バワントゥ アトーピ サッカッチャ スナントゥ バースィタン

ここに集いし諸々の精霊は、地に棲むものたちも虚空に棲む者たちも、一切の精霊は、心喜ぶがよい。そして、我が語るところを謹しんで聞くがよい。

2.

Tasmāhi bhūtā nisāmetha sabbe, mettaṃ karotha mānusiyā pajāya,

タスマーヒ ブーター ニサーメータ サッベー メッタン カロータ マーヌスィヤー パジャーヤ

divā ca ratto ca haranti ye baliṃ, tasmāhi ne rakkhatha appamattā.

ディワー チャ ラットー チャ ハランティ イェー バリン タスマーヒ ネー ラッカタ アッパマッター

それゆえ、一切の精霊は耳を傾けよ。人間に慈しみを垂れるがよい。昼夜に供物を持ち来る人々を、怠ることなく護るがよい。

3.

Yaṃ kiñci vittaṃ idha vā huraṃ vā, saggesu vā yaṃ ratanaṃ paṇītaṃ,

ヤン キンチヴィッタン イダ ワー フラン ワー サッゲース ワー ヤン ラタナン パニータン

na no samaṃ atthi tathāgatena,

ナ ノー サマン アッティ タターガテーナ

idam pi buddhe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ ブッデー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

此の世、あるいは来世における如何なる富も、また天上にある如何なる妙宝も、我らの如来に等しきものあらず。此は仏陀が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

4.

Khayaṃ virāgaṃ amataṃ paṇītaṃ, yadajjhagā sakyamunī samāhito,

カヤン ヴィラーガン アマタン パニータン ヤダッジャガー サキャムニー サマーヒトー

na tena dhammena samatthi kiñci,

ナ テーナ ダンメーナ サマッティ キンチ

idam pi dhamme ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ ダンメー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

釈迦牟尼が到達された禅定は、煩悩の滅尽、離貪、不死の境地で、優れたるものなり。その法(禅定)に等しきものあらず。此は法(ダンマ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

5.

Yam Buddha seṭṭho parivaṇṇayī suciṃ samādhim ānantarikaññam āhu,

ヤン ブッダ セットー パリワンナイー スチン サマーディマー ナンタリカンニャマーフ

samādhinā tena samo na vijjati,

サマーディナー テーナ サモー ナ ヴィッジャティ

idam pi dhamme ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ ダンメー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

最勝たるブッダが、清浄なりと賛嘆せし禅定は、「無間」と呼ばれる。彼の禅定に等しきものは存せず。此は法(ダンマ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

6.

Ye puggalā aṭṭha satam pasatthā, cattāri etāni yugāni honti,

イェー プッガラー アッタ サタン パサッター チャッターリ エーターニ ユガーニ ホンティ

te dakkhiṇeyyā sugatassa sāvakā, etesu dinnāni mahapphalāni,

テー ダッキネッヤー スガタッサ サーワカー エーテース ディンナーニ マハッパラーニ

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

仙人たちが賞讃せし者は、彼の八輩すなわち四双の者たちなり。彼ら善逝(ブッダ)の弟子たちは、布施供養を受けるに値する。彼らに施されしものには大果あり。此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

7.

Ye suppayuttā manasā daḷhena nikkāmino gotama sāsanamhi,

イェー スッパユッター マナサー ダルヘーナ ニッカーミノー ゴータマ サーサナンヒ

te pattipattā amataṃ vigayha laddhā mudhā nibbutiṃ bhuñjamānā,

テー パッティパッター アマタン ヴィガイハ ラッダー ムダー ニッブティン ブンジャマーナー

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

堅く決意し、ゴータマ(ブッダ)の教えに基づきよく励み、欲から離れている彼らは達すべき境地に達して、不死なる境地を体得し、その涅槃を余すところなく享受せり。此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

8.

Yathindakhīlo paṭhaviṃ sito siyā catubbhi vātebhi asampa kampiyo,

ヤティンダキーロー パタヴィン スィトー スィヤー チャトゥッビ ワーテービ アサンパ カンピヨー

tathūpamaṃ sappurisaṃ vadāmi yo ariya saccāni avecca passati,

タトゥーパマン サップリサン ワダーミ ヨー アリヤ サッチャーニ アヴェッチャ パッサティ

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

[城の]主柱が地に立ちてあるならば、四方の風に揺らぐことはない。[四]聖諦を如実に観ぜし仙人[預流果の者]は、是の如く喩えらるると我は言う。此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

9.

Ye ariya saccāni vibhāvayanti gambhīra paññena sudesitāni,

イェー アリヤ サッチャーニ ヴィバーワヤンティ ガンビーラ パンニェーナ スデースィターニ

kiñcāpi te honti bhusappamattā, na te bhavaṃ aṭṭhamaṃ ādiyanti,

キンチャーピ テー ホンティ ブサッパマッター ナ テー バワン アッタマン アーディヤンティ

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

深き智慧により正しく説かれたる[四]聖諦を実践する者たちは、たとい(後に)大いに放逸になろうとも、八回目の[転]生を引き寄せること有らず。此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

10.

Sahāvassa dassana sampadāya tayassu dhammā jahitā bhavanti:

サハーワッサ ダッサナ サンパダーヤ タヤッス ダンマー ジャヒター バワンティ

sakkāya diṭṭhi vicikicchitañ ca sīlabbataṃ vāpi yadatthi kiñci,

サッカーヤ ディッティ ヴィチキッチタン チャ スィーラッバタン ワーピ ヤダッティ キンチ

catūhapāyehi ca vippamutto cha cābhiṭhānāni abhabbo kātuṃ,

チャトゥーハパーイェーヒ チャ ヴィッパムットー チャ チャービターナーニ アバッボー カートゥン

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

知見[四聖諦の明知]の成就と共に、以下の三つのもの(煩悩)は捨て去られる。有身見、疑、あらゆる戒禁取なり。また四悪趣に陥ることを離脱し、六重罪を為すことは能わず。此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

11.

Kiñcā pi so kammaṃ karoti pāpakaṃ kāyena vācā uda cetasā vā,

キンチャー ピ ソー カンマン カローティ パーパカン カーイェーナ ワーチャー ウダ チェータサー ワー

abhabbo so tassa paṭicchādāya, abhabbatā diṭṭhapadassa vuttā,

アバッボー ソー タッサ パティッチャーダーヤ アバッバター ディッタパダッサ ヴッター

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

身、口、意にて悪を犯すことになりても、彼はそれを隠すこと能わず。知見に達した者は、隠すこと能わずと言わるるなり。此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

12.

Vanappagumbe yathā phussitagge gimhāna māse paṭhamasmiṃ gimhe,

ワナッパグンベー ヤター プッスィタッゲー ギンハーナ マーセー パタマスミン ギンヘー

tathūpamaṃ dhamma varaṃ adesayī nibbāna gāmiṃ paramaṃ hitāya,

タトゥーパマン ダンマ ワラン アデーサイー ニッバーナ ガーミン パラマン ヒターヤ

idam pi buddhe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ ブッデー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

夏の最初の月(春)、叢林の枝先に花咲き満てるが如く、その如く、最高の利益となる涅槃に導く尊き教法を説き給いし。此は仏陀が勝宝たる由縁なり此の真実により、幸いがあらんことを。

13.

Varo varaññū varado varāharo anuttaro dhamma varaṃ adesayī,

ワロー ワランニュー ワラドー ワラーハロー アヌッタロー ダンマ ワラン アデーサイー

idam pi buddhe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ ブッデー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

至善にして至善を知り、至善を与え至善へ導く無上士は、最上の至善たる教法を説き給いし。 此は仏陀が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

14.

Khīṇaṃ purāṇaṃ navaṃ natthi sambhavaṃ, viratta cittā āyatike bhavasmiṃ,

キーナン プラーナン ナワン ナッティ サンバワン ヴィラッタ チッター アーヤティケー バワスミン

te khīṇa bījā avirūḷhicchandā nibbanti dhīrā yathā yam padīpo,

テー キーナ ビージャー アヴィルーリッチャンダー ニッバンティ ディーラー ヤター ヤン パディーポー

Idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, etena saccena suvatthi hotu.

イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ

「古き[業]は尽き、新しき[業]は生ぜず」。再び生まるることに未練はない。種子[業]が尽きた。貪欲を根絶やしにした。彼の賢者たちは、灯明の如く寂滅す。 此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。

15.

Yānīdha bhūtāni samāgatāni bhummāni vā yāni va antalikkhe,

ヤーニーダブーターニサマーガターニ ブッマーニ ワーヤーニ ワ アンタリッケー

Tathāgataṃ deva manussa pūjitaṃ Buddhaṃ namassāma suvatthi hotu.

タターガタン デーワ マヌッサ プージタン ブッダン ナマッサーマ スワッティ ホートゥ

(以下は精霊たちの仏陀に対する応答の言葉である)ここに集いし諸々の精霊は、地に棲む、あるいは虚空に棲む我らは、人・天に尊敬さるる如来を敬礼せん。仏陀に礼拝奉る。幸いがあらんことを。

16.

Yānīdha bhūtāni samāgatāni bhummāni vā yāni va antalikkhe,

ヤーニーダブーターニサマーガターニ ブッマーニ ワーヤーニ ワ アンタリッケー

Tathāgataṃ deva manussa pūjitaṃ Dhammaṃ namassāma suvatthi hotu.

タターガタン デーワ マヌッサ プージタン ダンマン ナマッサーマ スワッティ ホートゥ

ここに集いし諸々の精霊は、地に棲む、あるいは虚空に棲む我らは、人・天に尊敬さるる如来を敬礼せん。法(ダンマ)に礼拝奉る。幸いがあらんことを。

17.

Yānīdha bhūtāni samāgatāni bhummāni vā yāni va antalikkhe,

ヤーニーダブーターニサマーガターニ ブッマーニ ワーヤーニ ワ アンタリッケー

Tathāgataṃ deva manussa pūjitaṃ Saṅghaṃ namassāma suvatthi hotu.

タターガタン デーワ マヌッサ プージタン サンガン ナマッサーマ スワッティ ホートゥ

ここに集いし諸々の精霊は、地に棲む、あるいは虚空に棲む我らは、人・天に尊敬さるる如来を敬礼せん。僧(サンガ)に礼拝奉る。幸いがあらんことを。



8-3.慈経 (Karanīya Metta Sutta)

Karaṇīyam atthakusalena yan taṃ santaṃ padaṃ abhisamecca;

カラニーヤ マッタクサレーナ
ヤン タン サンタン パダン アビサメッチャ

意味あるもの(善なるもの)に巧みで、寂静(涅槃)を目指す者には、なすべきことがあります。


Sakko ujū ca sūjū ca suvaco c'assa mudu anatimānī.

サッコー ウジュー チャ スージュー チャ
スワチョー チャッサ ムドゥ アナティマーニー

能力があり、まっすぐで、しっかりし、人の言葉をよく聴き、柔和で、高慢ではないように。


Santussako ca subharo ca appakicco ca sallahukavutti; santindriyo ca nipako ca appagabbho kulesu ananugiddho.

サントゥッサコー チャ スバロー チャ
アッパ キッチョー チャ サッラフカ ヴッティ
サンティンドゥリョー チャ ニパコー チャ
アッパ ガッボー クレース アナヌギッドー

足ることを知り、手が掛からず、雑務少なく、簡素に暮らし、諸々の感覚器官が落ち着き、賢明で、裏表がなく、在家に執着しないように。


Na ca khuddaṃ samācare kiñci yena viññū pare upavadeyyuṃ; sukhino vā khemino hontu sabbe sattā bhavantu sukhitattā.

ナ チャ クッダン サマーチャレー キンチ イェーナ ヴィンニュー パレ- ウパワディッユン
スキノー ワー ケーミノー ホントゥー サッベー サッター バワントゥ スキタッター

智慧ある識者たちが批判するような、どんな小さなあやまちもしないように。
(そして、願います)
幸福で、安穏でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。


Ye keci pāṇabhūt'atthi tasā vā thāvarā vā anavasesā; dhīgā vā ye mahantā vā majjhimā rassakā aṇuka_thūlā.

イェー ケーチ パーナ ブータッティ タサー ワー ターワラー ワー アナワセーサー
ディーガー ワー イェー マハンター ワー マッジマー ラッサカーヌカ トゥーラー

いかなる生命であろうともことごとく、動きまわるものも、動きまわらないものも、長いものも、大きなものも、中くらいのものも、短いものも、微細なものも、巨大なものも、


Diṭṭhā vā ye vā addiṭṭhā ye ca dūre vasanti avidūre; bhūtā vā sambhavesī vā sabbe sattā bhavantu sukhitattā.

ディッター ワー イェー ワ アッディッター イェー チャ ドゥーレー ワサンティ アヴィドゥーレー
ブーター ワー サンバウェースィー ワー サッベー サッター バワントゥ スキタッター

目に見えるものも、見えないものも、遠くに住むものも、近くに住むものも、すでに生まれているものも、これから生まれようとしているものも、生きとし生けるものが幸せでありますように。


Na paro paraṃ nikubbetha nātimaññetha katthacinaṃ kañci; vyārosanā paṭighasaññā nāññamaññassa dukkham iccheyya.

ナ パロー パラン ニクッベーター ナーティ マンニェータ カッタチナン カンチ
ビャーローサナー パティガ サンニャー ナーンニャマンニャッサ ドゥッカ ミッチェッヤ

どんな場合でも、他者をあざむいたり、軽んじたりしないように。怒鳴ったり、腹を立てたり、互いに他者の苦しみを望まないように。


Mātā yathā niyaṃ puttaṃ āyusā ekaputtama nurakkhe; evam pi sabbabhūtesu mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ.

マーター ヤターニヤン プッタン アーユサー エーカ プッタマヌラッケー;エーワンピ サッバ ブーテース マーナサン バーワイェー アパリマーナン

あたかも母が、わがひとり子を、命を懸けて守るように、そのように、すべての生命にたいし、無量の慈しみの心を起こしてください。


Mettañ ca sabbalokasmiṃ mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ; uddhaṃ adho ca tiriyañ ca asambādhaṃ averaṃ asapattaṃ.

メッタン チャ サッバ ローカスミン マーナサン バーワイェー アパリマーナン;ウッダン アドー チャ ティリヤン チャ アサンバーダン アベーラン アサパッタン. 

慈しみの心を、すべての生命にたいして限りなく広げてください。上に、下に、周りに、隔てのない、怨みのない、敵意のない心を育ててください。


Tiṭṭhaṃ caraṃ nisinno vā sayāno vā yāvat'assa vigatamiddho; etaṃ satiṃ adhiṭṭheyya brahmam etaṃ vihāraṃ idham āhu.

ティッタン チャラン ニスィンノー ワー サヤーノー ワー ヤーワタッサ ヴィガタミッドー;エータン サティン アディッテェッヤ ブラフマメータン ヴィハーラン イダマーフ.

立っているときも、歩いているときも、座っているときも、横になっているときも眠っていないかぎりは、この慈悲の心をしっかり保ってください。これを、梵天(崇高な者)の生き方といいます。


Diṭṭhiñ ca anupagamma sīlavā dassanena sampanno; kāmesu vineyya gedhaṃ na hi jātu gabbhaseyyaṃ punaretī ti.

ディッティン チャ アヌパガンマ スィーラワー ダッサネーナ サンパンノー;カーメース ヴィネッヤゲーダン ナヒジャートゥ ガッバ セッヤン プナレーティー ティ. 

(このように実践する人は) 邪見を乗り越え、常に戒を保ち、正見をそなえ、諸欲にたいする執着をなくし、もう二度と母胎に宿る(輪廻をくり返す)ことはありません。


9.祝福の偈(Āsiṃsanā)

Sabbītiyo vivajjantu sabba rogo vinassatu. Mā te bhavatvantarāyo sukhī dīghāyuko bhava.

サッビーティヨー ヴィワッジャントゥ サッバ ローゴー ヴィナッサトゥ
マー テー バワトゥワンタラーヨー スキー ディーガーユコー バワ

一切の不幸・病苦を避けられますように。
災難に遭うことなく、幸福に暮らせますように。


Bhavatu sabba maṅgalaṃ rakkhantu sabba devata. Sabba buddhānubhāvena sadā sotthī bhavantu te.

バワトゥ サッバ マンガラン ラッカントゥ サッバ デーワター.  サッバ ブッダーヌバーヴェーナ サダー ソッティー バワントゥ テー

あらゆる祝福がありますように。
善い神々に護られますように。
ブッダの徳によって、常に平安でありますように。


Bhavatu sabba maṅgalaṃ rakkhantu sabba devata. Sabba dhammānubhāvena sadā sotthī bhavantu te.

バワトゥ サッバ マンガラン ラッカントゥ サッバ デーワター.  サッバ ダンマーヌバーヴェーナ サダー ソッティー バワントゥ テー

あらゆる祝福がありますように。
善い神々に護られますように。
法(ダンマ)の徳によって、常に平安でありますように。


Bhavatu sabba maṅgalaṃ rakkhantu sabba devata. Sabba saṅghānubhāvena sadā sotthī bhavantu te.

バワトゥ サッバ マンガラン ラッカントゥ サッバ デーワター.サッバ サンガーヌバーヴェーナ サダー ソッティー バワントゥ テー

あらゆる祝福がありますように。
善い神々に護られますように。
僧(僧団)の徳によって、常に平安でありますように。


Nakkhatta yakkha bhūtānaṃ pāpaggaha nivāraṇaṃ, Parittassānubhāvena hantu tesaṃ upaddave.

ナッカッタ ヤッカ ブーターナン パーパッガハ ニワーラナン.パリッタッサーヌバーヴェーナ ハントゥ テーサン ウパッダヴェー

悪い生命の影響から護られますように。
この護経の徳によって、禍(わざわい)から解放されますように。


Etena sacca vajjena dukkhāvūpa samentu te!

エーテーナ サッチャ ワッジェーナ ドゥッカー ヴーパサメントゥ テー

この真理の言葉の力によって、苦しみがなくなりますように。

Etena sacca vajjena bhayāvūpa samentu te!

エーテーナ サッチャ ワッジェーナ バヤー ヴーパサメントゥ テー

この真理の言葉の力によって、恐怖がなくなりますように。


Etena sacca vajjena rogāvūpa samentu te!

エーテーナ サッチャ ワッジェーナ ローガー ヴーパサメントゥ テー

この真理の言葉の力によって、病苦がなくなりますように。

Photo by Chandima Gangdawila


10. 廻向(Anumodana)

◎先祖への廻向

Idam me ñatinam hotu sukhitā hontu ñatayo.

イダン メー ニャーティナン スキター ホントゥ ニャータヨー

私たちが積んだ善業の功徳を親族(先祖)に廻向します。
親族(先祖)がやすらぎに満たされますように。


神々への廻向

Ettāvatā ca amhehi Sambhatam puñña sampadam. 
Sabbe devā anumodantu, Sabbe bhūtā anumodantu, Sabbe sattā anumodantu, Sabba sampatti siddhiyā.

エッターワター チャ アンヘーヒ 
サンバタン プンニャサンバタン
サッベー デーワー アヌモーダントゥ
サッベー ブーター アヌモーダントゥ
サッベー サッター アヌモーダントゥ
サッバー サンパッティ シッディヤー

ここまで積んだ功徳を、すべての神々・精霊・一切衆生が随喜してお受けくださいますように。福徳に満たされますように。


Ākāsatthā ca bhummatthā Devā nāgā mahiddhikā Puññam tam anumōditvā Ciram rakkhantu lōka sāsanam, Ciram rakkhantu desanam, Ciram rakkhantu mam param.

アーカーサッター チャ ブンマッター デーヴァー ナーガー マヒッディカー,
プンニャン タン アヌモーディトヴァー チラン ラッカントゥ ローカ サーサナン, チラン ラッカントゥ デーサナン, チラン ラッカントゥ マン パラン

空に住む神々、地上に住む神々が、この功徳を随喜して、教えを護ってくれますように。
私の両親や師匠を
護ってくれますように。
と他者を護ってくれますように。


Sādhu! Sādhu! Sādhu!
サードゥ サードゥ サードゥ



Sabbe sattā bhavantu sukhitatthā
生きとし生けるものが幸せでありますように