存在欲は妄想 の続き
私たちはつい、「バラの花が好きだ。だから近くに置いておきたい」と考えてしまいます。
実際に起きている現象に即して、「以前、どこかでバラの花を見たときによい感覚が生まれた。それだけのことだ。自分の身体が、いつでもそのよい感覚を作ってくれる保証はないのだ」とわかったら、バラの花への愛着は生まれません。
理性を用いて、そのように落ち着くことができればよいのですが、私たちは「愛着し続けるために、生きていなくてはいけない」とまた壮大な勘違いをして、「存在欲」という巨大な愛着を作り出すのです。
私たちがどんな妄想をしようとも、一切の現象は無常で変化しています。
誰でも持っている「生きていきたい」という存在欲は、現実を無視した妄想の産物に過ぎません。現実ではないのです。
この存在欲に突き動かされる限り、「死」という恐怖感は消えません。
存在欲が満たされることがあるとしたら、自分が想定した感覚セットを繰り返しリピートできるときだけです。一切の現象は無常なので、それはありえない、不可能な想定なのです。「存在欲は決して満たせない、存在欲は成り立たない」という現実を絶えず突きつけられているからこそ、私たちは怖くなるのです。死の恐怖に苛まれるのです。
ここはとても重要なポイントなので、よく憶えておいてください。
(続きます)
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スマナサーラ長老 法話「ほんものの恐怖とは?」
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように