損のない生き方「損得勘定の智慧 1」
「入るもの―出るもの」と言えば、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
お金なら収入―支出、プレゼントなら貰う―贈る、会話なら聞く―話す、知識なら学ぶ―教える、情報なら受信する―発信するなどいろいろあるでしょう。私たちの日々の生活は、このように「入る―出る」の関係で成り立っています。そして人生を幸せに、賢く生きるためには「何が入り、何が出たか、どのくらい入り、どのくらい出たか」とモノの出入りを冷静に勘定して、管理することが大切なのです。
これから数回にわたって「損―得」「出る―入る」「与える―得る」をキーワードに、お釈迦さまの損得勘定の智慧を学んでみましょう。
因果法則に見られる give & take
生きる上で「損か、得か」と勘定することは必要でしょうか?
一般的には「損得を計算して行動するのは利己的で意地汚い」と思われているようです。そう思うのは、世の中の仕組みを理解してないからです。実際のところ、私たちは「損得」を考えずに生きていられません。なぜなら人間関係というものは、基本的に「損得」の関係、あるいは「与えて得る」という関係で成り立っているからです。英語ではこれをgive& take(ギブ・アンド・テイク)と言います。仏教から見ればgive & get(ギブ・アンド・ゲット)と言う方が正しいのですが、ここでは皆さんが聞き慣れているギブ・アンド・テイクを使って話しを進めることに致しましょう。
このギブ・アンド・テイク(与えて得る)という関係は普遍的な法則です。人間関係だけでなく物質の世界でも、自分から何かを与え、相手から何かを獲得して成り立っています。たとえば鉄は空気中の酸素に触れることによって錆びます。鉄は酸素の電子を受け取って安定し、酸素は鉄に電子を与えることによって安定する。互いに「やり取り」を行って、それぞれが安定して成立しているのです。このように、物質も、人間も、一切のものが、相互に「与えて得る」という関係で成り立っています。これは宇宙の法則であり、仏教の因果法則の一部なのです。
それでは「与えて得る」の働きが、私たちの日常生活の中でどのように行われているか、具体的な例を挙げて説明してみましょう。
① X >Y(XがYより大)の場合、X→Y または X←Y
XとYは人を指しています。XはYよりもモノをたくさん持っているという状態です(X>Y)。このときモノを多く持っているXが、少しか持っていないYに「与える」「行く」ということが起こります(X→Y)。
逆に、XはYから「取る」「奪う」「貰う」ということも起こるのです(X←Y)。矛盾に思われるかもしれませんが、実際の社会を観察してみますと、金持ちは貧しい人からお金を奪っているのではありませんか? 資本家は労働者を不当に安い賃金で雇用して、長時間働かせることによって「搾取」したり、あるいは労働者がちょっとミスをしただけで給料を減らしたりすることもあるでしょう。これは給料を「奪う」という意味でもあります。頭だけで考えれば「ある人」が「ない人」に与えることが当然だと思われますが、現実の世界では逆の方向に流れるケースも少なくないのです。親子関係においても、親が子供に与えるだけというケースはほとんどありません。子供は親に対して、喜びとか楽しみなど多くのものを与えているのです。
② X=Yの場合、「合併」または「分離」
XとYが同等のレベル(X=Y)の場合、二つは合併するか、または分離するという関係です。「合併する」というのは、たとえば夫婦が共働きで二人とも同程度の所得があるとしましょう。新しい車を一台購入することにします。しかし一人分の貯金では中古車しか買えません。そこで双方が「合併」してお金を出し合って新車を買うといった関係です。
また「分離する」とは、たとえば兄弟姉妹というものは、たいてい小さい時は同じ部屋で勉強したり遊んだりと仲が良いものです。でも二人とも成長しますし、それほど年齢の差もありませんから、思春期頃になると姉は「私の部屋に入らないで」と弟を追い出し、弟も「お姉ちゃんといっしょの部屋はいやだ」と言って出て行くのです。つまり姉と弟は同程度の力であり、二人の間に反発力が働いて「離れる」ということが起こります。これは決して喧嘩したという悪い意味ではなく、自然の法則なのです。
③X・Yの場合、X―Y
次はXに有るものが(X)Yには無い(Y)という状態です。この場合、YはXから無いものを「貰い」、XはYに「分けてあげる」という関係が成り立ちます。たとえばXとYが二人でどこかへ出かけました。Xは弁当とお茶を持って行きますが、Yは近くの店でお茶を買うつもりで弁当だけを持って行きます。ところが現地に着いても店はなく、お茶を買えませんでした。結果として、XはYにお茶を「分けてあげる」ということが起こるのです。
④XとYが結合してZになる
異なる二つの性質のもの(XとY)が結合して、別のもの(Z)になるという関係です。たとえば物質の世界では、水素原子と酸素原子が結合して、別の性質である水になりますし、政治の世界でも、ときどき異なる二つの党派が結合して、新しい政党を組織することもあります。
⑤ (XーaとYーb) で (X+bとY+a) の関係
この関係を考えてみましょう。たとえばコンビニへ弁当を買いに行きます。弁当を買えば自分の財布のお金は減ります。(X=自分、a=お金で、Xーa)。またコンビニの弁当も一個なくなります。(Y=コンビニ、b=弁当で、Yーb)。換わりに自分はコンビニの弁当を得て(X+b)、コンビニはお金を獲得します(Y+a)。この関係は、自分が持っているものを出すことによって相手のものを得る、というギブ・アンド・テイクの関係です。
そしてこの時に「損した、得した」という問題が生じるのです。コンビニで六百円支払って弁当を買いましたが、隣のスーパーに行くと同じ弁当が五百円で売っていました。そうするとたいていの人は「損した」と感じるでしょう。ここで損得の問題が成り立つのです。比較しなければ損でも得でもなく、この弁当は六百円だと落ち着いていられますが、比較したとたんに損得の感情が生まれるのです。このように損か得かの感情は比較をした結果、生じるものなのです。
損をしない生き方を
以上、考察したように、私たちは生まれた瞬間から、この世を去る瞬間まで「与えて得る」の人生、または「損得」の人生を生きています。
人間関係は「損得」の原則に基づいて成り立っているのであって、損得を抜いた「美しい人間関係」という綺麗事はありえないと言ってもよいでしょう。この事実をよく理解することが大切です。
つまるところ、自分が他人と仲良くしているのは、その人から何かを得たいからであり、また他人が自分に接近しているのは自分から何かを欲しがっているからなのです。これは自然の法則です。何も得るものがなければ近づく必要はありません。得るものがあるからこそ、私たちは他人と仲良くして、付き合っているのです。
この損得のシステムをよく理解して、私たちは「損をしない生き方」を選択することが大切です。「損」をするだけでは自分がいずれ壊れてしまいます。だからといって、不正的な手段を使ってまで「得」することだけを追い求めていると、今あるものも失って、やがては貧困に陥る羽目になります。ギブ・アンド・テイクの原理は宇宙の法則ですから、悪い行為をすれば必ず不幸になるのです。
では、どうすれば損のない生き方ができるのでしょうか?
それには悪の道を避け、生き方を改良し、法に適った正しい生き方を営むことです。
損得勘定をしない人は「損」をする
次に、損得勘定に無頓着で無関心でいるとどうなるかを考えてみましょう。
自分の損得を勘定できない人は、他人の損得も勘定できません。ですから、自分のことしか考えられず、他人とうまく付き合うことができない自己中心的な性格になります。疑い深く、他人を信頼できず、優柔不断で、人に何か頼まれても「自分にはできない」と引きこもったり、「私はダメな人間だ」と自信を失ったりしがちです。また口のうまいセールスマンに「これはお買い得の商品ですよ」と勧められると、自分に必要かどうかは計算せずに、すぐさま飛びついて買ってしまい、お金を浪費することもあります。
このように損得勘定に欠落している人は、損ばかりで得することがありません。「得る」ということは、たとえ額に汗して努力しても簡単なことではないのです。お金もそうでしょう。得るには大変な苦労を要しますが、無くなるのは簡単です。損得の勘定をせずに、曖昧で、いい加減に生きている人は、得るものがなく損だけの人生になるということをここで覚えておいてください。
(続きます)
アルボムッレ・スマナサーラ長老法話
文:出村佳子