2013/08/30

スリダンマーナンダ長老、7回忌


スリダンマーナンダ長老
Buddhist Maha Vihara, Malaysia

悪をやめ、善に達し、心を清らかにすること、
これが諸仏の教えである

"Sabba papassa akaranam 
Kusalassa upasampadha 
Sachitta pariyodapanam 
Etam buddhanu sasanam"


スリ・ダンマーナンダ長老が亡くなられて、7年がたちます。長老が住職を務めていたマレーシアのお寺では、徳を積む行為を行ない、回向する法要が、盛大に行なわれてます。


生きとし生けるものが幸せでありますように

2013/08/18

生 命

K. スリダンマーナンダ長老     
質 問
誰かに踏まれて死にかかっているアリがいます。どうすればいいでしょうか? もしそのままにしておけば、アリは苦しみ続けます。殺せば、もう苦しまなくてすみます。人に踏まれて苦しんでいるアリにたいして、どうすればよいでしょうか?
答 え
仏教は、「いかなる生命も殺してはならない」と教えています。
世の中には、安楽死という考え方がありますが、仏教は支持しません。苦しみを終わらせるために今生の命を終わらせることは答えではないのです。生命は来世においても業の結果を受けなければならないのですから。苦しみが延びるだけであり、苦しみは続いていくのです。

生命は最終的な解脱である涅槃(Nibbhaana)に達するまで、生まれては死に、さまざまな生涯を経て輪廻転生をします。もし生命が苦しんでいるのを見たら、苦しみを和らげるように最善を尽くすようにしてください。

もし苦しみを和らげることができない状況にあるなら、そのときは、その生命が負っている苦しみにたいして自分に責任があるわけではないのだから、悪い業をつくることにはなりません。

私たちにできることは、その生命の苦しみを和らげるように努力することだけです。もし和らげることができる状況でなければ、前にすすんでください。

ホスピスに行くと、多くの末期患者の方々に出会います。ガンや麻痺、エイズなど重大な病気で苦しんでいるのを見ると、いとも簡単に後悔や無力感、苦しみの巨大さにひどく落胆するものです。

でも、自分に何ができるのか、仲間のあいだで何ができるのか、ということに目を向けなければなりません。たとえすべての人を助けることができなくても、無力さに負けないようにしてください。苦しんでいる生命を積極的に助けようとすることは大事なことです。無力感に負けることは、自分にも他人にも善いことではないのです。

2013/08/02

瞑想の目的

H. グナラタナ長老    

人生の目的は、日々、自己を向上させて幸福になることです。

私たちは幸福を得るために多くのことをやっています。
しかしそのほとんどは、幸福になるどころか不幸や痛み、苦しみ、トラブルを引き起こしているのです。理由は、心がまだ清らかではないからです。幸福をもたらすことのできるのは、清らかな心であって、汚れた心ではないのです。

**  **  **
瞑想の第一番目の目的は、自分の心を清らかにすることです。清らかな心が、やすらぎと幸せをもたらすのです。

瞑想の二番目の目的は、悲しみと嘆きを乗り超えることです。真理を観察し始めると、無常から生じる悲しみや嘆きに耐え、打ち克つことができるのです。

三番目の目的は、欲と怒りから引き起こされる苦しみや落ち込みを乗り超えることです。

四番目の目的は、いらだちや悲しみ、落ち込み、痛み、嘆きをなくすために、「智慧の道」を歩むことです。これが気づきの道であり、苦しみを滅する唯一の道なのです。

五番目の目的は、心の苦痛と汚れを完全に滅し、貪瞋痴(欲・ 怒り・無知)をなくすことです。

この五つの目的は、清らかな目的です。これ以外の瞑想の目的はすべて見過ごすことができます。なぜなら、「問題を根絶して真のやすらぎと幸福をもたらす」という結果を得ることができないのだから。

問題を無視したり避けようとするのではなく、心に生じたとき、注意深く問題に向き合い、対処することが大切なのです。

全訳文:http://homepage3.nifty.com/sukha/Gunaratana_diy_.html


2013/07/29

Parents are the living gods


Below picture is worth a thousand words.

Love, respect and look after your parents. 

They are the living gods.


source: "Fearless lion" (sri lanka)


2013/07/17

善い統治者の10の徳

スリダンマーナンダ長老(著)「仏教と政治」より

ジャータカ物語のダサ・ラージャ・ダンマに、「善い統治者の10の徳」が説かれています。この10の項目は、今日になっても、国を平和に統治しようとする統治者に当てはまります。

 ① 寛大で、自己中心的ではないこと
 ② 高い道徳性を保っていること
 ③ 国民の幸福のために自らの楽しみを進んで犠牲にすること
 ④ 正直で、誠実であること
 ⑤ 親切で、やさしくあること
 ⑥ 国民の模範となるべく質素な生活を送ること
 ⑦ 憎しみを持たないこと
 ⑧ 暴力を振るわないこと
 ⑨ 忍耐があること
 ⑩ 世論を尊重し、平和と繁栄を促進すること 


 お釈迦様は、このように強調されました。
 「統治者は道徳を守り、公の権力を国民の幸福を向上させるために使ってください」

2013/05/23

Happy Wesak Full Moon Poya Day

Wishing everyone a very peaceful Wesak Day. 
May all beings be well and happy.


To avoid all evil,
to cultivate good,
and to cleanse one's mind,
this is the teaching of the Buddhas.

Dhammapada

2013/05/16

心の平和

スリ・ダンマーナンダ長老 出村佳子訳

人類は、過去数千年のあいだに数え切れないほどの大きな戦争を起こしてきたと言われています。
戦うことは人類の特性なのでしょうか? 
何のために戦うのでしょうか? 
人間はなぜ同じ仲間である人間を殺すのでしょうか?



人類は、次から次へとすばらしい事物を発見し、発明してきました。しかし同時に、新しく発見したものを悪用してきたため、人類の種が滅亡する方向へ進んでしまったのです。


1945年8月、日本のヒロシマとナガサキに原子爆弾が落とされました。

それよりも、水素爆弾のほうが強大な破壊力をもつと言われています。科学者たちは、数百個の水素爆弾を落とせば世界が全滅する という恐ろしいことを考えています。科学の発展が何をもたらしたかを考えてください! 人間はいかに残酷で利己的になったかを理解してください!


私たちは、攻撃性という本能に従うべきではありません。
そうではなく、幸せになるために、「賢者が説く智慧の教え」に耳を傾け、道徳的な行為をおこなうべきです。


K. スリダンマーナンダ長老(著)

出村佳子(訳)


全訳文はこちらでお読みいただけます  ⇒ 「心の平和」


生きとし生けるものが幸せでありますように

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2013/05/05

各言語の翻訳者


スリダンマーナンダ長老著書の各言語の翻訳者


 


 





生きとし生けるものが幸せでありますように

2013/05/03

ウェーサーカ祭記念冊子

『智慧と善行為』

ウェーサーカ祭記念冊子




本文はこちらからお読みになれます ► 智慧と善行為
 
  

生きとし生けるものが幸せでありますように



2013/05/01

事実を知ろうとしない無知(智慧ある人は愉しんで生きる③-1)



事実を知ろうとしない無知

私たちは相対論、つまり「世の中は有でも無でもなく因縁に依って一時的に成り立っている」という真理を、なかなか理解することができません。理解できないということは仕方ありませんが、理解しようとする努力もしないのです。

先日のことですが、経営状態が思わしくなく借金を抱えて困っているという、ある会社の方々に話しをする機会がありました。


私が何を話したかといいますと「どんなに借金があっても悩んだり落ち込んだりすべきではありません。いまやるべき仕事をしっかりやってください。精一杯やって、それで会社が倒産して、ホームレスになったとしても、それはどうしようもないことではありませんか。ホームレスになったら元気に明るく、その場その場で生活すればいいのです。肝心なのは、どんな状況であれ、瞬間々々明るく堂々と生きることです。食べ物をゴミ箱から拾って食べるようになっても、私はなんて惨めなんだと思うと、苦しいでしょう。そうではなく、今日はいいもの見つけた、ついているぞ、と思えば人生は愉しいのです。このような思考をもつ人に苦しみはありません」と。


講演が終わったあと、一人の男性が私にこう言いました。「あなたの話しはわかります。しかし厳しすぎます。借金を抱えている私たちには、もう少し心が安らぐような話しをしてくれたほうがよかったのではないか」と。

この言葉からわかったことは、この男性が聞きたかったのは、祈祷すれば商売が繁盛するとか、苦労しなくてもお金が儲かる方法とか、そういうことなのです。でも、そういう類の話しは全部うそです。

このように、人は事実を聞きたがりません。でも、信じれば天国に行けるとか、祈れば神様が望みを叶えてくれるとか、そういうごまかしを言うと、みんな喜んで、その通りだと理解するのです。このような態度では、当然、事実を理解することなどできません。ということは、真の愉しみや幸福も得られないのです。





愚か者が行う改革は危険

それから私たちは、事実を知ろうとしないだけでなく、他を自分の思いどおりに変えようとしています。子供を変えよう、夫や妻を変えよう、部下を変えよう、周りの人を変えようと頑張っています。でも、暴れまわっている子供をおとなしくさせるのは簡単でしょうか。上司が部下に、営業成績をあげろと命令しても、効果があるのでしょうか。

子供を変えようとすると子供は「うるさい」と言ってさらに反抗するでしょうし、部下にプレッシャーをかけても、余計に焦ったり不安になってうまくいかなくなるものです。結局、相手を強引に変えようとすると、相手はものすごく苦しむのです。そしてそこから対立や争い、ひいては戦争までもが生じるのです。因果法則を知っている人は、そういう無理強いはしません。

それから人間は自然も変えようとしています。山林を伐採して道路をつくったり、トンネルを掘ったり、石油を掘ったり、海や沼を埋め立てて陸地をつくったりと、次々に自然を変えるのです。それで私たちは幸福になったでしょうか? 科学技術が進歩して、生活は確かに便利になりました。でも、心の安らぎや安心感だけはないのです。


私たちが毎日食べている米や野菜は、本来人間の体にいいものですが、いまは農業技術が発達したために、田畑に多量の農薬や化学肥料を撒いていますから、いいものであるはずの農作物に毒がたっぷりかかっています。ですから安心して食べられない状態になっているのです。それで最近では、無農薬の野菜を買う人も多いようですが、それも本当に無農薬かどうかはちょっとわかりません。なかには「無農薬というラベルを貼れば儲かる」と考えて商売している人たちもいますから、あまり信頼できないのです。



ですから無知な人たちが、農業を改革しよう、経済を成長させよう、科学を発展させようとすると、世の中は混乱して危険な状態に陥ります。大量化学兵器は誰がつくったのですか? 無知な科学者たちです。そのために大勢の罪の無い人たちが犠牲になり苦しむ羽目になっているのです。

しかし、因果法則を知っている智慧のある人が世界の発展に携わるなら、すばらしい世界になることは間違いありません。なぜなら智慧のある人は常に皆の幸福と平和を考えて行動するからです。


そこで、できれば子供たちは、まず仏教を学んで智慧を育ててから学校で勉強したほうがいいと思います。そうすれば社会の役に立つ立派な人間に育つでしょう。



無常・苦・無我

これまで相対論について話してきましたが、相対論がむずかしくて理解できないという方は、次の真理を理解できるように頑張ってください。

・一切は無常である

・一切は苦である
・一切は無我である

という三つの真理です。でも、この三つを全部、理解する必要はありません。このなかの一つだけを理解すればよいのです。
そこで、無常を理解するか、苦を理解するか、無我を理解するかは、各人の性格で決まります。

一般的に誰でも理解しやすいのは「無常」です。「苦」は、観察力が鋭い人に適しています。苦を観察することは簡単ではありません。これは単に苦しいという意味ではなく、もっと深い意味の「虚しい」という意味なのです。鋭い観察力で生命を観察するなら「苦」というポイントがよいでしょう。「無我」は、ものごとを深く考える思想家や哲学者に適しています。ヨーロッパに有名な哲学者がいましたが、あのぐらいの能力があれば「無我」にチャレンジしたほうがいいと思います。

次に、誰にでも理解しやすい「無常」についてお話いたしましょう。(続きます)


A. スマナサーラ長老
事実を知ろうとしない無知(智慧ある人は愉しんで生きる③-1)