「私」とは誰か?③ からの続き
「自分」はどうやって生まれるのか?
自分の戦いを発見する前に、私たちは「自分とはどうやって生まれるのか?」を理解しなければならないのです。
自分とは、限りなく生まれるものです。そのプロセスを調べなければいけません。それで「自分、自分」という幻覚が消えるのです。そうなったら戦いがないのです。
生きとし生けるものが幸せでありますように・Sabbe Sattā Bhavantu Sukhitatthā
こころは、海の波ように絶えず変化し続けています。
日常のちょっとした出来事や誰かに言われたひとことが、こころに小さな波紋を呼ぶこともあります。
ストレスや悩み、未来への不安、後悔といったネガティブな感情の波もあれば、社会のプレッシャーや人間関係のトラブルなど荒波のようにこころが激しく動揺することもあるでしょう。
そのときそのとき、さまざまな要素が複雑に絡み合ってこころに影響を与え、感情の波が押し寄せてくるのです。
こころの波は、誰しもが経験する自然な現象です。
大切なのは、この波を恐れるのではなく、気づいて受け入れることです。
恐れたり、抑え込んだり、つらい感情に打ちのめされるのではなく、「こころがいま、どのような状態にあるのか」ということにただマインドフルに気づき、客観的に観察することです。
そうすることで、こころの平穏「ウペッカー」が育っていくのです。
「おわりに こころの波」より
『こころの平穏〈ウペッカー〉~偏見を超え、客観的に見る智慧』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】
🔸偏見や先入観、固定観念のフィルターを外し、ものごとをありのままに観るために欠かせない「平穏なこころ〈ウペッカー〉」を育てるには?
『こころの平穏 〈ウペッカー:Upekkhā〉~偏見を超え、客観的に見る智慧』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老〔著〕が刊行されました。
よろしければ、ぜひご一読ください。
こころの平穏〈ウペッカー〉~偏見を超え、客観的に見る智慧
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】
目 次
はじめに 感情のジェットコースター
第1章 こころのバランス「ウペッカー」
誰がウペッカーを実践するのか?
「客観的に観る」とは?
「身体の痛み」は「私の痛み」?
執着のないこころ
部分ではなく、全体的に
第2章 「中立」のこころ
タトラマッジャッタター(中捨)
こころの偏り
「好き・嫌い」は一時的なもの
バランスを保つ
価値判断を超える
「中道」の発見
第3章 なぜ、ウペッカー(捨)が大切なのか?
理由① 8つの現象に振りまわされないため
理由② 「平等のこころ」を育てるため
理由③ 中道(八正道)を歩むため
第4章 ウペッカーの育て方
1 インテグリティ(誠実さ)
2 信頼
3 こころを鍛える(瞑想)
4 心身を調える
5 自分と他人を理解する
6 業(kamma)を理解する
7 ヴィパッサナー(vipassanā)の見方
8 こころの自由
気づき
ウペッカーは解放(解脱)へのカギ
第5章 Q&A
ウペッカーを実践するにあたって
「ウペッカー」と「無関心」
おわりに こころの波
著者紹介
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老
Ven. Dr. Chandima Gangodawila
フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学・哲学部の助教授。
タイ国立マハーチュラロンコーンラージャヴィドゥャ大学仏教研究所刊行『国際仏教ジャーナル誌』の編集委員。
カナダのビクトリア大学・宗教社会研究センターの元研究員。
フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、日本、アメリカ、カナダの大学や寺院で、講演、法話、瞑想リトリートをおこなっている。
◎ブログ ▸ Paṭisota ▸ https://patisota.blogspot.com
◎法 話 ▸ Youtube Channel ▸ https://www.youtube.com/patisota
◎書 籍 ▸ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2019/07/ven-chandima.html
正しい思考を育てるには?
「正思惟」を育てるためにはどうすればよいのでしょうか?
それは、まず自分の思考に気づくことです。
自分の思考がどんな状態なのか?
何を考えているのか?
どんな思考や感情が生まれているのかを観察してみましょう。
もしその中で悪い思考や感情があれば、それを手放していきます。
欲や怒り、害意がこころに生まれたら、すぐにそれに気づくようにしてください。
気づくことによって、そこから離れられるのです。
「第2章 正しい思考「正思惟」を育てるには?」より
正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】
コーサラ王とマッリカー妃のこの話を聞いたブッダは、その意味を知って、次のようにおっしゃいました。
心でどこを探してみても、
自分より愛しい者を見いだすことはできない。
それと同じく、他の者にとっても、自分のことが愛しい。
ゆえに、自己を愛する者は、他の者を害さぬように。
“Sabbā disā anuparigamma cetasā,
Nevajjhagā piyataramattanā kvaci;
Evaṃ piyo puthu attā paresaṃ,
Tasmā na hiṃse paramattakāmo” ti.
このブッダが説かれたことの意味について、これからご説明いたしましょう。
3つの思考は本能的なもの
「欲」と「怒り」と「害意」は本能的なもので、自然に湧いてくる思考です。
私たちがこころを育てよう、清らかにしようとしないかぎり、抱いている思考なのです。
そこで、ブッダは「本能的な思考から離れて、その反対の思考を育ててください」と教えられました。
反対の思考とは、
・欲から離れる思考 (nekkhamma saṅkappa)
・怒りのない思考 (abyāpāda saṅkappa)
・害を与えない思考 (avihiṃsā saṅkappa)
の3つです。
これらが「正しい思考(正思惟)」であり、安穏をもたらす思考なのです。
「第2章 欲は、怒りと害意の出発点」より
正思惟〈正しい思考:Sammā Saṅkappa〉
欲・怒り・害意の手放し方―八正道 ②
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老【著】
〈私がいる〉という実感
「私とは誰か?」という一般的な質問があります。それは私のことを知りたい、という欲求から起こる問いのようです。一方、仏教では「私という実体はない」と言っています。「ない」と言われても、誰にだって「自分がいるんじゃないか」という実感があるので、仏教は変なことを教えていると訝しがられる結果になるのです。