2021/09/06

娯楽は喜怒哀楽を妄想でかき回す ほんものの恐怖とは?①-2


娯楽は喜怒哀楽を妄想でかき回す


娯楽とは、喜怒哀楽の感情を妄想でかき回して再現することです。
皆様は娯楽が好きでしょう。あれは感情を人工的にかき回しているのです。
映画を見るとか、音楽を聞くとか、舞台を鑑賞するとか、そうやって感情をかき回しています。かき回して喜怒哀楽を感じるのです。
 
でも、考えてみてください。そこには何もありません。
たとえば、映画はプロジェクターからスクリーンに光を映しているだけです。それを見て、楽しくなるわ、涙を流すわ、あの女優さんはなんて美人かと妄想します。
何もないのに、妄想して、心が乱れるのです。

仏教は娯楽には賛成しません。
世間は娯楽中毒になっていますが、仏教は賛成していないのです。
もし実際にきれいな人がいて「きれいだ」と思ったら、その場合は目の前にその人がいますから、いくらか仕方がないと言えます。でも、スクリーンに映った光に「きれいだ」と思い、妄想することは、賛成できません。



恐怖のテーマを作品にする


世間は「恐怖、不安、怯え、脅迫感」のテーマを作品にしています。
恋物語だけではなく、エイリアンを登場させたりなど幻覚をいろいろ作って人々の感情をかき回しています。
映画を見て、すぐに忘れる人もいますが、引きずる人もいます。怖い映画を見て、それが頭にこびりつくとどうしますか。

このような映画を作って金を儲けることは、正法に適った収入ではありません。人々を病気にさせて金を儲けていますから、これは強盗のようなものです。
もしお弁当を作って500円で売り、自分が250円の収入を得るなら、それは正法に適っています。自分も頑張りましたし、弁当を買った人もそれを食べて幸せになっていますから。
そのお金は、本当に力のある、自分に使える、簡単になくならないお金になるのです。
お釈迦様は、在家の方は正しく仕事をして、正しく収入を得るようにとおっしゃいました。汗を流して努力して頑張るのです。
 
そういうわけで、世の中には人々の恐怖感をかき回す芸術があります。恐怖感をかき回し、怯えて、震えて、精神的な病気に陥るために、人は喜んでお金を払って見ているのです。

(続きます)

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スマナサーラ長老 法話「ほんものの恐怖とは?」
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように