2025/06/30

実証できる教えとは?「現見経」を読む 4

  (増支部六集四十八「現見経」)

「第二の現見経」 


言葉で喋ってはいけないことを喋っている時、これは本当は喋ってはいけないことだと知っている。喋るべき言葉を喋っている場合は、正しい言葉を喋っていると知っている。悪い思考がある時は、悪い思考があると知っている。悪い思考が無い時は、悪い思考が無いと知っている。そうすると、その人は「自分自身で分かっている。知っている」という結論になるのです。このように、自分の眼の前に証拠があるのです。 (前号から続きます)


理性のない人


眼の前にある証拠(現証)から目をそらす人は、自分が悪い言葉を喋っているのに、「何が悪いんですか! あなたのせいでしょう!」という態度をとるのです。


その人は理性のある人間の範囲には入りません。文明のある人間の範疇には入らないのです。お釈迦様は「文明のある文化的な人間」という言葉もときどき使っているのです。だから乱暴で野性的に生きている人々には、仏教は実践できないかもしれません。他人を殺して「これはよいことだ、三人も殺した、首狩り民族みたいに首を持ってきて家の前に陳列しておこう」と言う人には、仏教は難しいのです。


悪いことをしている人に対して、「止めなさい」と怒鳴らなくてはいけない場合もあるでしょう。しかし、そういう場合に、「あいつは悪いやつだ、怒鳴っている自分は善人なのだ」と、上から目線で自分を正当化してしまう人にも、仏教はちょっと難しいのです。


身口意の行為の流れをチェックする


自分を正当化する必要もありませんし、自分はダメな人間だと卑下する必要もありません。心はいつでもいろいろ波を打っているので、その流れを淡々と見るだけでいいのです。


それから、我々はいくら頑張って「善行為に励むぞ」と思っても、ときどき身口意で不善行為もやってしまいます。特に仏教徒の方々はスローガンを掲げて頑張ろうとしがちです。


「これから必ず五戒を守るぞ!」などと、立派なスローガンを掲げるのはいいのだけれど、実際に生活してみると、うっかり五戒を破ってしまったということもあり得るのです。


その時に、知っているのは「戒律を破った」という事実です。かといって、「あなたは戒律を破りました。だからダメな人間だ、だから破門だ、地獄行きだ」ということは仏教では無いのです。「君、この流れを知っているのか? 戒律を破ったことを知っているのか?」と聞いて、その人が「知っています」と言うならば、「ああそう、それで十分です。では、またやり直して」ということになるのです。


だから身口意の行為の流れをチェックするということが、とても大事なのです。


証拠は自分の心にある


そこで、この経典に出てくるバラモン人も、眼の前で、自分自身で証明できたのです。悪行為がある時は悪行為があるとか、心に貪瞋癡がある時は心には貪瞋癡があるとか、自分自身で知っているのだから、もうテキストはいらなくなるのです。

「本に書いてあるから」ではなくて、自分の心にしっかり証拠があるのだから、それが、「sandiṭṭhiko dhammo(サンディッティコー ダンモー):現証というダンマ」の特色なのです。


だから修行していく時でも、心が清らかになったら、心が清らかになったと知っている。心の煩悩が落ちたら、心の煩悩が落ちたと知っているのです。


これは、仏教を知らない人にも理解できます。子供たちでも理解できます。例えば子供たちに「あんた喧嘩する?」と聞いたら、「たまに喧嘩する」と言うかも。「喧嘩すると気分がいい?」と聞いたら、「うーん、どうかねぇ、気分はよくないなぁ」と答えるでしょう。


仏教はそういうアプローチで真理に達するのです。ということで、子供にさえ理解できる科学的な教えなのです。


このバラモンも同じく、「釈尊の教えは素晴らしい。何の神秘もなく、何の迷信もなく、こんなに具体的なのか」と感激して、お釈迦様の在家弟子になったのです。


「自分を見なさい」という教え


これで、ふたつの経典を解説し終わりました。

ポイントは、自分の心を見ないで生活することはとても危険だということです。自己観察しないと、どんな人間になるか分からないのです。


子供同士で喧嘩している時、お母さんたちはいつも「喧嘩しちゃだめでしょ」と叱りますが、私はそのフレーズを言いません。

私の場合、「君たちはいくら何でも喧嘩するでしょう」と言うのです。子供たちも「そうですよ」と言う。

そこで「どんな気分ですか? どんな時に喧嘩になるんですか?」と聞きます。

それで子供たちが「あいつが悪いことを言ったから喧嘩になるんだ」と言う。

そこで私は、「あの人が悪いことを言ったと誰が判断したんですか? 君でしょう? 君がそう判断したから喧嘩になった。じゃあ、あの人は悪いことを言ったんじゃなくて、ただ勝手に怒っているだけなんだ、と思ったら喧嘩になる?」と聞くと、子供たちは「ならない」と言う。


そういうふうに毎日の経験が仏教なのです。
必要なことはたった一つ、自分を見なさい(observe yourself)です。
それが仏道なのです。 


 ( 了)

    

根本仏教講義(パティパダー 2025年8月号)