聞く自由と言論の自由「ブッダの聞き上手入門 ①-1」からの続き
誰かが話さないと何を聴く
まず、話すという現象について考えてみましょう。
「話し方」についてではなく、「話す」ということについてです。
なぜ、人は話すことが好きなのでしょうか?
それは、心の中で感情が渦巻きを立てているからです。
感情は耐えられないストレスです。
それで感情に言葉をのせて、とりとめもなく喋ることが始まるのです。
ここがポイントです。
とりとめもなく喋る人はみな、ストレスが溜まっています。
イライラして耐えられないのです。
たとえば一人ぼっちで家にいるとしましょう。
耐えられなくて、誰かにメールを送ります。
送ったらすぐに返事を期待します。
これでコミュニケーションをしているつもりですが、コミュニケーションはできていません。
余計にストレスが溜まるのです。
特に日本ではメールとかSNSでメッセージを送ってすぐに返事が来ないと、えらい失礼だと思われるんです。それってストレスでしょう。
また、電車に乗っているときでも、エレベーターに乗っているときでも、道路を歩いているときでも、メールやメッセージを送ったりしています。
すごくストレスが溜まっていて、ストレスを発散しているのです。
ですから喋っても喋っても終わりがありません。
どこまでやればいいのでしょうか?
そこで、相手が真面目に聞いてくれないと腹が立ちます。腹が立って、人間関係も壊れてしまいます。最悪でしょう。
たとえば私が何か食べ物にあたって食べられなくなったとします。相手にたいして「私は何も食べられないから、あなたも何も食べないでください」と言うような話です。
自分のストレスを発散しているだけなのに、相手が真面目に聞いてくれないと、すごく不機嫌になるのです。
友だち関係も切るほどです。
でも俗世間では皆様すごくありがたがってメッセージを送ることとかに夢中になっているのです。
(続きます)
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
編集:出村佳子
根本仏教講義【目 次】
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生きとし生けるものが幸せでありますように