四聖諦――四つの聖なる真理 ① からの続き
しかし、人はたいてい「私」という思考に執着しているため、無我を観察したがりません。これが苦しみをもたらすのです。
以前、ある女性に「怒りにどう対処したらいいでしょうか?」と聞かれました。
そこで私は、「今度怒ったとき、目覚まし時計を持ってきて、二時間後にアラームが鳴るようセットして、目の前に置いておいてください。アラームが鳴ったら、怒るのをやめてください」と言いました。
怒りが本当にあなたのものなら、怒りにたいして「二時間で消えなさい」と言えば、消えるはずです。
しかし、怒りはあなたのものではありませんから、命令しても無駄なのです。二時間たってもおさまらないときもあれば、一時間もたたないうちにおさまるときもあるでしょう。
怒りを自分のものとして握りしめれば、苦しみが増すだけです。怒りが本当にあなたのものなら、あなたの命令に従うでしょうし、従わないなら、あなたのものではなく、現象にすぎないということです。
ですから現象に引っかからないでください。嬉しかろうが悲しかろうが、好きであろうが嫌いであろうが、引っかからないように。すべてのものごとは現象です。
怒ると気分がいいですか? 気分が悪いですか?
気分が悪いなら、怒るのをやめたらどうでしょうか? なぜ、ずっと怒り続けるのですか?
怒りにとらわれているのに、どうしてあなたが賢者だとか知識人だといえるでしょうか?
生まれてからこれまでのあいだ、何度、感情に騙されてきたでしょうか?
怒りは家族喧嘩を引き起こすこともあれば、一晩中、涙を流させることもあります。それでも人は怒りにしがみつき、怒り続け、苦しんでいるのです。「怒りは苦しみを引き起こす」ということに気づかないかぎり、いつまでも苦しみ続けるでしょう。反対に、気づいたら、怒りを手放すことができます。手放さなければ、苦しみが続くのでしょう。
輪廻転生とはこのようなものです。このことをあるがままに理解すれば、問題を解決できるでしょう。
ブッダは、「〝これは私ではない〟〝 私のものではない〟と観察することほど、苦しみを乗り越えるのによい方法はありません」と教えています。
しかし、私たちはたいてい「無我」に注意を払いません。苦しみが生じたとき、そこから何も学ぼうとせず、ただ嘆くだけです。このことを深く観察し、ブッドーを育てなければなりません。ブッドーとは「知る者(明晰な気づき)」のことです。
(続きます)
アチャン・チャー法話集
The Four Noble Truths
翻訳:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように