話を理解できないという問題「ブッダの聞き上手入門 ③-2」 からの続き
人は先入観や固定概念、価値観などでいくら汚染されていても、客観的な事実をそのまま理解できる能力も持っています。しかし、その能力を育てていません。相手の話を鵜呑みにして信じ込めばラクチンだと思っているのです。
お釈迦様は、聞く人の「理解への障害」をかき回すことをしないで、最初から理性に訴えて語ります。
理性が弱い人には、わかり易い話から始めます。高度な理性力を持っている人には、高度な話をします。
誰にたいしても最終的には真理を解き明かします。真理を理解するまで、お釈迦様は自分の語る能力を使って相手を育てていくのです。
天人師であるブッダの真似は誰にもできません。しかし、私たちも相手に理解できるように語らなくてはいけないのです。
自分のアイデアを強引に相手に押し付けることをやめます。
相手を脅すことも止めます。
相手が何の躊躇もなく納得できるよう、明るく話す能力を育てる義務が、皆にあるのです。
聞き上手になりたければ、話し上手にもならなくてはいけません。相手に話す能力については、人のあいだに差があります。口下手な人も、口数が少ない人も、相手に理解できるようにしたほうがよいのです。
語ることが下手な人には、方便の問題があります。そのような人は、結局は自分に喋っているのです。自分の感情、主観、理解、知識をそのまま言葉にして流しているのです。
「話を聞いている相手は、人間のダミーではない」と思ってほしい。何でも話していいわけではありません。聞く人も、さまざまな性格や理解能力を持っている生の人間です。ですから相手にたいして慈しみを抱いたほうがよいと思います。話し上手にならなくても、相手は自分の言うことを理解してくれるでしょう。
仏教に、「対機説法」という言葉があります。結局は、話し上手という意味です。相手の理解能力、技術能力、年齢、性別、好み・趣味などに合わせて、話す言葉を編集するのです。内容を変えるわけではありません。音楽にたとえてるならば、曲は変えないが、演奏する楽器を相手の好みに合わせて選ぶのです。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
編集:出村佳子
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