人生は他人の話を聴くところから出発 「ブッダの聞き上手入門 ③-1」からの続き
話を聞いても理解できない
人の話を聞いても理解できない、という問題もあります。学校で授業を受けても何を勉強したのか理解できない状態もあります。話し方が下手という原因も考えられますが、それは別のテーマです。
そこで、「話を理解できない」という問題について以下のポイントを考えましょう。
・データ(相手の話)が心に入らない
自分の固定概念や先入観があり、データに拒否反応を起こすのです。
・一部を聞いて、一部が入らない
話の一部は心に入って理解できますが、一部はまったくピント外れで理解できなくなる。その場合も、結局は人の話を理解しなかったことになります。なぜならば半分聞いて理解しただけで、自分が間違った結論に達するからです。
・心が反撃態度をとる
話を聞いています。理解もできます。しかし聞いている自分の心は、話の内容にずっと反撃して攻撃しているんです。言葉をぶつけてぶつけて相手を倒そうとしているのです。そうすると、頭の中で概念の戦争が起きているので、話を聞いて相手の意見をそのまま理解することはできません。
・理解はいつでもマイバージョンになる
聞いた話ではなく、自分の解釈を入れて理解するのです。人の話を聞いていますが、その内容を自分の主観・好み・主義・固定概念などに合わせて、マイバージョンを作るのです。その場合も、自分が理解しているのは相手が喋ったことではないのです。
・理解しても心に残らない。忘れる
これもよくあることです。人の話を聞いても、すぐ忘れてしまって別のテーマに興味を抱く性格を持っている人もいます。興味だけは目まぐるしく変わりますが、最終的には何も学んだことになっていないのです。聞く話をある程度で記憶する能力も人には必要です。
私たちは人の話を聞いて善い人間になりたいのですが、このような五つの問題があります。
では、仏教的な答えを出しましょう。
固定概念
私たちは必ず固定概念を持っています。人はいつでも固定概念や先入観を作ります。これは人間の弱みです。自分のフォーマットに話の内容を合わせるんです。これは他人の話を理解するための一つのフォーマットです。それに合わせるのです。相手の言うことをありのままに聞きません。自分のフォーマットを使って理解を歪曲するのです。
仏教の歴史を見たら、よくわかるでしょう。お釈迦様が話したことはいたって科学的で、ひとかけらも迷信はなく、誰にでも実践できるものです。
でも、時間が経つと、人間が作った化け物たちが現れてきて、それを信仰する宗教に変わってしまったのです。それで、地蔵菩薩を拝む場合はこの呪文を唱えなさいとか、観音様に手を合わせるときにはこの呪文を唱えなさいとか、いろいろな信仰が現れたのです。この現象は、人々の固定概念のフォーマットに合わせてブッダの言葉を変えてしまった結果です。しかし、自分たちが師匠の考えと正反対の理解に陥ったことに気づいていないのです。イエスをノーの意味に取り、ノーをイエスの意味に取っているのです。固定概念のせいで、この矛盾に気づいていないのです。
ですから、人の話を正しく理解したければ、まず自分の心にどのような固定概念があるのかをチェックすべきです。
まず相手の話をそのまま理解する。内容がそのまま納得できれば、それを自分の理解として扱ってもいいのです。
どうしても気に入らない内容ならば、自分の今までの知識、それから具体的なデータなどと照らし合わせたほうがよいのです。固定概念は正しい理解に邪魔になります。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
編集:出村佳子
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