偏見のバージョンアップ「ブッダの聞き上手入門 ④-1 からの続き
聞き上手ではなく、聞いていない
皆様には「聞き上手ではない」と言いたくないんです。上手下手以前に、最初から話を聞いていないんです。これは大きな問題です。
だって我々は人の話を聞いて人生を形成しているのに、聞いていなければ、ろくな人生になりません。しっかりした性格になりません。不安なく、しっかり生きることはできないのです。
聞き上手になるために
1 真面目に聞く
聞き上手な人とは、優れた学生であり、修行者です。聞き上手になるとは、優れた学生になることなのです。勉強ができる人だと言われたら、その人は聞き上手なんです。教える人と闘っていないのです。真っ向から反撃していないんです。ですから、聞き上手な人とはすごく頭が良い人です。能力のある良い学生なんです。
あるいは、聞くことは修行です。修行というのは結局闘いでしょう。聞き上手になるということは、一つの修行なのです。人の話を聞くと、自分の心のなかで反発精神が起こるのです。聞きたくない、面白くない、理解できない、うるさい、他のことをやりたい、早くやめてほしい、などなどの気持ちが心のなかに起こるのです。これは反発精神なのです。
お釈迦様の例えを借りて言うならば、逆さまに置いた水瓶に水を入れるような感じです。バケツで何万杯入れても、水瓶には一滴も水が入らないのです。反発精神のおかげで、他人の話を聞く時の我々の心も、逆さまにした水瓶のような結果になります。
知識人、経験者、先輩、指導者、教師などの人々の話を聞く場合、聞く人は必ず、心のなかにある反発精神に気づいて、それを戒めなくてはいけないのです。ですから、他人の話を真面目に聞くとは、一種の修行なのです。
2 偏見は攻撃を受けると覚悟する
でも私は皆様に攻撃しているのではありません。皆様の脳の先入観に攻撃しているのです。皆様が「ありがたい、ありがたい」と拝んでいるものにたいして攻撃しているのです。それで痛い目にあってほしいんです。そうでないと智慧が現れないし、成長しないのです。もし私が皆様の機嫌をとって話すなら、それは詐欺になります。
特に仏教を学ぶと分かると思いますが、なんとなくやられているような感じがするんです。何か言われているような気がするんです。それでいいんです。どこかでバカにされているような感じがするのです。
私も同じです。経典を読むと、また言われている、またバカにされている、といつでもそのような気持ちになります。それが学んだということなのです。新しいことを学ぶ場合は、何かどこかで攻撃されている、やられている、という感じがあります。それが嫌な人は勉強しませんし、成長もしません。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
文:出村佳子
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