固定にならない固定概念「ブッダの聞き上手入門 ③-4 からの続き
偏見に固執しない
偏見の中に、邪見もあります。邪見はとても危険なものです。人類を破滅に陥れる邪見もありますから。これは最初からやめたほうがよいのです。
邪見がなくても、偏見は残ります。我々は偏見をバージョンアップして、よりよい偏見に入れ替えています。皆様はこの説法を聞いて、よりよい偏見を作っているのです。
そこでまた問題があります。自分の偏見に固執するということです。偏見はそのうち変わるものです。バージョンアップしますから、今の偏見に固執するのはよくありません。
偏見があることは別に大丈夫で、ゆっくり治せます。しかし、「これこそ正しい」と固執することは危険なのです。
お釈迦様は「これこそ真実である。他説はすべて間違っていると結論付けるなよ」と説かれました。そう言ったなら、あなたは真理を冒涜して侮辱していることになるのです。
たとえ真理を知らなくても「これは私の意見である」と言う人は、真理を守っています。なぜならその人には偏見を直して、真理を発見することができますから。
「俺の考えは正しい。他の考えはすべて間違っている」と言うと、すごい邪見なのです。
このように、人には大きな問題があります。偏見に固執することが、皆様の成長に、ものすごいハンディになっているのです。
皆様によい宿題があります。自分の子供のときから今までの人生を思い出してみてください。それで考えが変わったことを発見してみてください。自分にはいろいろな考えがあって「これが正しい、あれが正しい」と思っていたのですが、それもじわじわと変わってきたでしょう。これからも変わっていきます。それを理解してください。どうせ変わっていくのだから、固執する必要はないのです。
攻撃・拒絶体制にならない
新しいアイデアが入ると、我々は自然と攻撃・拒絶体制になります。
例えば自分の偏見に固執している人に、「すべては無常です」と言うと、「あんた何を言うのか」といきなり攻撃するんです。
「無我だから魂はありません」と言うと、いきなり拒絶反応を起こすのです。素直にアイデアが頭に入りません。なぜなら「俺がいるんだぞ」という感覚に固執しているからです。それで「ここに自分がいるのに無我だと言う。わけも分からない話だ」と怒るのです。
でも、「お地蔵さんにお饅頭をお供えすれば幸せになる」と言うならば、それをやるのです。
このように、我々は頭に新しいアイデアが入ると最初は反発し、拒絶します。ですから何かを学ぶということは、結構な闘いになります。
人は他人の話を聞いていません。バージョンアップは自然に起こることですが、他人の話を聞いて頭の中で反発し、攻撃して、それで自分のフォーマットに合うならばオーケーにします。
合わなかったら没にするのです。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
文:出村佳子
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