はじめに
仏教は誰でも理解でき、誰でも実践することができる教えです。
だからといって、仏教の話しをいい加減に聞かれたら困ります。
というのも、「誰でも理解できる」ということは、つまり「並大抵のことではない」という意味なのだから。
高い教育を受けた人も、受けていない人も、男性も、女性も、高齢者も、子供も、大企業の社長も、ホームレスも、誰にでも理解できるというのだから、これには何か深い意味があるのです。
あまり軽々しく、いい加減に理解するのはよくないという意味でもあります。
先に結論を言いますと、仏教はどんな人にも関係があり、すべての人に共通することを教えているからです。
人だけではなく、生命全体に共通することを説いているのです。
すべての生命に関係があることですから、誰にでも「分かりやすいはず」です。
「分かりやすい」ではなく、理解しようとしない人には理解できませんから、「分かりやすいはず」なのです。
(続きます)
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来たれ見よ (Ehipassiko) :誰でもチャレンジできる仏教実践
法話:スマナサーラ長老
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように