宗教のあやまち「来たれ見よ2-①」からの続き
仏教がハイライトしたもの
形而上学的な観念を語ることには意味がない、とお釈迦さまは教えられました。
魂はあるかないかとか、天国はあるかないかなど、試す方法もなく、証拠もないことは考えてはいけません、時間の無駄ですと。答えに終わりがないから禁止なされたのです。
そこでお釈迦さまがハイライトして説かれたのは、すべての生命が日々なまなましく経験している苦しみや不安、悩み、死の恐怖などについてです。
これならどなたにでも直接関係があることですから理解できるしょう。
夫婦喧嘩した、親子喧嘩した、仕事でミスをした、試験の成績が悪かったなどのちょっとした悩みから、会社が倒産した、子供が交通事故に遭ったなどの大きな苦しみまで、悩みや苦しみが尽きることはありません。
お釈迦さまはこの「苦しみ」にハイライトして教えを説かれたのです。
苦しみを解決する教え
ですが、「苦しみ」だけについて話しても あまり役に立ちません。
「生きることは苦しみである」 とそれだけ説いても意味がないのです。
お釈迦さまはさらに 「苦しみをどう解決すればよいか」 「このように解決したらどうか」 と、苦しみを解決する方法も説かれたのです。
また、魂とは何かとか、神が世界を創造したかどうか、宇宙の起源はいつかなどということはどうでもよいのです。
これらには証拠も試す方法もありませんから、そんなことを考えると時間がどんどんなくなってしまいます。
そうではなく、現実の問題に目を向けることが大切です。
私たちは日々いろんな問題に出会っています。
ものごとがうまくいかなかったり、トラブルが起きたり、苦しんだり、悩んだり、さまざまな問題があるでしょう。
それらを客観的に観察し、さらに解決してゆくことが重要であるとお釈迦さまはおっしゃられたのです。
(続きます)
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来たれ見よ (Ehipassiko) :誰でもチャレンジできる仏教実践
法話:スマナサーラ長老
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように