●贅沢三昧に育てられた一人息子の出家
ヤサという名の豪商の息子がいました。
両親は大変な金持ちで、この一人息子を宝物のようにかわいがり、草履は金で作ったものしか履かせないほど贅沢三昧で育てました。
しかし、そんな両親の思いとは裏腹に、ヤサの心は満たされませんでした。
ヤサは、
「こんな生き方はまるで刑務所にいるようなものだ、これって人生か」
と考えて、ある夜、こっそりと家を出たのです。
「あー、なんて楽しいか」とひとりごとを言いながら歩いていると、お釈迦さまが夜、坐っていらっしゃったのです。
お釈迦さまはひとこと、こう言いました。
「束縛されていない生き方こそ、自由で、究極的に楽しいですよ」
ヤサは「どういうことでしょうか」と思い、お釈迦さまのそばに座って話しを聞くことにしました。
お釈迦さまの教えが終わると、ヤサは悟り開いたのです。
一方、ヤサの両親は、朝起きてみたら、大切な息子がいません。
大騒ぎであちこち探しましたが、どこを探してもヤサはいません。
外に出て探してみると、金の草履の足跡が残っていました。
幸いなことに当時の道はアスファルトではなかったですから、足跡が残っていたのです。
父親はその足跡を見て、これは息子のものだということがすぐにわかり、その足跡を追っていきました。
お釈迦さまは、ヤサの両親がそのうち探しに来ることがわかっていましたから、ヤサに「君、ちょっと隠れていなさい」と言って隠れさせました。
しばらくすると父親がやって来て、お釈迦さまに「息子を探しています。こちらまで足跡があるのですが、こちらにいるのでしょうか?」とたずねました。
お釈迦さまは「そのうち会うでしょう。落ち着いてちょっとそちらに座ってください」と言いました。
足跡もありましたし、お釈迦さまも「そのうち会いますから」とおっしゃったので、父親はホッとして、お釈迦さまと少し話しをすることにしました。
おそらく父親は、息子をどのように育てたかとか、どんな生活をさせたかとか、そういうことを話しただろうと思います。
一方、お釈迦さまは、「親があまりにも子供をかわいがり、あまりにも箱入りで育てたから、息子はそれが嫌で家を出たのかもしれません。両親の愛情は、ありすぎても子供にとっては地獄になります。あなたがたが息子にしたことは、息子にとって耐えられない苦しみですよ」など、そういうことを教えただろうと思います。
父親は、お釈迦さまの説法に心を動かされ、その場で仏教徒になりました。
お釈迦さまに帰依したとき、後ろから息子が出てきました。
父親は喜んで、これからは束縛しないから一緒に帰りましょうと言いましたが、ヤサは「いえ、私は自由な道を選びます」と言い、そのまま出家したのでした。
父親は反対することなく、「君の選んだ道は正しい」と言い、一人息子の出家をゆるしたのです。
●一夜で財産を失った農夫
ある朝、お釈迦さまは田んぼに行き、そこで農作業をしている農夫に声をかけ、ちょっと言葉を交わして帰って行かれました。
次の日も、その次の日も、田んぼに立ち寄って農夫と言葉を交わし、帰って行かれました。
その農夫は特別に能力があるわけでも優れているわけでもありませんでしたが、お釈迦さまは数日間そうやって声をかけて、その農夫とつきあったのです。
農夫は、「お釈迦さまが私のところに立ち寄ってくださる。親しみを持って声をかけてくださる。なんというすごい方が友だちになったものか」と大変喜びました。
「しかし、私はまだ一度も食事のお布施をしたことがない。今度、稲を刈り入れたとき、盛大にお釈迦さまにお布施しよう」
と考えました。
そこでお釈迦さまに、
「稲を刈り入れたらお釈迦さまにお布施したいのですが、そのとき私の家に、家というところではなく小屋ですが、いらっしゃっていただけますか」
と申し出ると、お釈迦さまは、
「いいですよ、行きます」
と快くお布施を受けられました。
ところが稲刈りの前日、大雨が降り、洪水になって、田んぼがすべて流されてしまったのです。
たった一晩で、今まで苦労して育ててきた収穫物がすっかり流され、一年間の収入が失われてしまいました。
それまでごく平凡に生きてきた農夫でしたが、このとき初めて「生きる苦しみ」に直面したのです。
農夫は巨大な苦しみに圧倒され、とうとう倒れてしまいました。
お釈迦さまは約束の日、農夫の家にお布施を受けに行きました。
お釈迦さまが来たとき、農夫の苦しみは最大限に達しました。
お釈迦さまが来ているのに、自分にはお布施するものが何もありません。
顔を合わせることもできず、家の中で倒れたままでいました。
このすべてを理解されたお釈迦さまは、農夫が寝込んでいるところに行き、このように話されました。
「人生では予測できないことや期待していないことが突然起こるものです。
いくら約束をしても、確実に守れるものではありません。
でも、知っていますか、どうしてあなたがそんなに悲しんでいるのかを――。
それは洪水で流された田んぼや稲に、あなたはすごく期待していたからです。
だから苦しんでいるのです。
この世の中に期待できるものは何一つありません。
自分の身体さえ、期待することはできません。
この真理を知っている人は、心のなかの期待を捨て、
何にたいしても期待しないのです」
(続きます)
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法話:スマナサーラ長老
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文:出村佳子
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