●「芸は天国への道」と信じていた芸人
「芸は天国への道」と信じていた芸人がいました。
彼は芸が上手で、大勢の人が彼の芸を見て楽しんでいました。
彼はいつも真剣で「私の芸を見て大勢の人が笑い、楽しみ、喜びを感じている。だから私は頑張らなくてはいけない」と考えていました。
そして「芸で人々を笑わせ、楽しませる人は、死後、天国に行く」と信じていたのです。
ある日、この芸人がお釈迦さまに会いしました。そしてこのように尋ねました。
「お釈迦さま、私は毎日正直な気持ちで芸をやっています。芸の師から口伝として、献身的に芸をやり、人々を楽しませ、笑わせれば、死後、天国に生まれ変われると聞いております。
お釈迦さまはこれについてどう思われますか?」と。
お釈迦さまは「その話はよしましょう」と言いました。
しかし、芸人は同じことを再び聞いたのです。
お釈迦さまは同じように「その話はよしましょう」と言いました。
しかし芸人はまた同じことを聞いたのです。
そこでお釈迦さまは、
「私はその話はよしましょうと言っているのに、あなたは三度も聞きました。
では答えますから、お聞きなさい。
あなたが皆の前で欲の場面を演じたことによって、多くの人はますます欲を増大させました。
あなたが怒りの場面を演じたことによって、多くの人はますます怒りを増大させました。
あなたが愚かな場面を演じたことによって、多くの人はますます愚かになりました。
自分だけでなく、他人の欲と怒りと無知を増大させたのだから、あなたは死後、地獄へいくでしょう」
お釈迦さまの話を聞いた芸人は、泣き崩れました。
「今までの自分の人生はなんだったのか。芸の師は私に何を教えたのか。これこそが天国に行く道だと聞かされ、私は命賭けで芸をやってきたのに、これからどうすればよいのか」
その人は立ち上がれないほどのショックを受けました。
その様子を見たお釈迦さまはこのように諭されました。
「人の道はそちらにあるのではありません。身体で善いことをし、言葉で善いことを語り、頭で善いことを考え、心の汚れをなくすことが人の道です」
その芸人はその場で出家し、修行に励み、やがて悟りを開いたのです。
●美しいものが好きな金細工職人の息子
ある金細工職人の息子が、サーリプッタ尊者のもとに弟子入りしました。
サーリプッタ尊者は、
「この若者は在家にいるとき毎日美しいものに触れ、美しいものばかり見てきた。しかし、ものごとの醜い側面を理解しなければ悟ることはできない」
と考えて、身体は美しいものではなく不浄なものであるということを納得してもらおうと、不浄の瞑想を教えました。
比丘は、サーリプッタ尊者に教えられたとおり、真面目に瞑想に励みました。
しかし、心はいっこうに落ち着きません。
ある日、比丘は、
「私は偉大なるサーリプッタ尊者のもとで出家しているにもかかわらず、悟ることができない。これは自分に見込みがないからではないか」
と考えて落ち込んでいたところ、お釈迦さまに出会いました。
お釈迦さまは、この比丘が金細工職人の息子で、長いあいだ美しいものにしか触れてこなかったことを察知され、このように指導なされました。
「こちらに座って、この蓮の花を見ていなさい」と。
お釈迦さまのそばにはさまざまな花があり、そのなかに一本、大変美しく咲いている蓮の花があり、それを観察するようにと言われたのです。
比丘は、お釈迦さまに言われたとおり、その美しい花のそばに座り、花を見つめました。
すると比丘の心に、「あー、なんて美しい花か」と喜びが生まれ、心がその花にギューっと集中していったのです。
われを忘れて花を見つめていたところ、今度はその花がしだいに萎んでゆくのが見えました。
微妙に見つめていましたから、細部まで明確に見えるのです。
美しい花びらがだんだん萎れてゆき、鮮やかな色が褪せてゆき、ついには枯れてしまいました。
比丘は、「あんなに美しく咲いていた花もこのように萎れ、枯れてしまう。作られたものはすべて無常なのだ」と、ものごとの無常性に目覚め、その瞬間、悟りを開いたのでした。
お釈迦さまは、「美しいもの」に見慣れていた比丘の性格を見抜き、醜いものではなく、むしろ「美しいもの」を観察させることによって、比丘の心を喜ばせ、落ち着かせ、そして悟りの方へと導かれたのです。
(続きます)
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法話:スマナサーラ長老
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文:出村佳子
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