心が「善・悪」をつくる/なぜ問題を解決できないのか?「問題をつくるのは誰か?⑨」からの続き
問題の根本の原因
このように、問題を避けるためにどんな方法を使ったとしても、日々の生活の中で多くの新しい問題にぶつかるものです。
なぜでしょうか?
それは、ほとんどの問題の主要な原因は「心が未熟であり、利己的である」ということを理解していないからです。
原始人の生活を研究してみると、彼らは比較的問題が少なかったということがわかります。
それは、問題の大部分が生存するために必要なものだけに関連していたからです。
一方、現代の、いわゆる文化的な社会にみられる問題は、人が生存するためではなく、あまりにも多くの快楽を求め過ぎているがために起こっていることがほとんどです。
大勢の人が「生きる目的は欲望を満たすことである」と思っているのです。
現代の教育システム
現代の教育システムは、よい仕事に就くことを目的にして行なわれています。
それは、学生たちにより学問的な知識を身につけさせ、利己的な人間に育てています。
道徳を育てることをせず、巧妙な人問を育てているのです。
そのように育てられた人のなかには、自分だけが利益を得るならば、他人や世界で何が起ころうとも気にしない、という人もいます。
狡猾で、自分の欲望を満たすために科学的方法を用い、それによって自分の不安だけではなく、他の生命の不安も増大させているのです。
欲 望
人間は他のどの生きものよりも利己的であり、快楽を貪っています。
他の生命の幸せを考えることをせず、種(しゅ)の生存を考えることをまったくしないで、世俗の生活と欲望を楽しんでいます。
欲望の強い人は、楽しむために長生きしたいと考えています。これまで貯えてきた財産に執着し、死ぬときに自分の財産を置いて逝くのを嫌がり、死にたくないと考えています。
他の生きものには、このような利己的な考えはありません。自分が「生きる」ためだけに五感を使い、他の生命を故意に傷つけることなく、自然に生きているのです。
人間だけが自分が食べられる以上のものを貯える、といわれています。
他の動物は、自分が必要とするものだけを自然からとって食べています。必要としないものは、他の生きもののために残しておくのです。
現代社会では、人間は健康をないがしろにし、欲望の奴隷になるまで欲望に耽っているのです。
死に向き合う
この地球上で、人間は「自分はいつか必ず死ぬ」ということを理解できる唯一の生命です。
だからこそ、死について不必要に悩むこともするのです。
しかし死をいくら心配し、恐れても、死がなくなることはありません。
それならば、落ち着きをもって死という現象がどうのようなものか理解してみてはいかがでしょうか。
シェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』の劇のなかでこのような言葉を述べています。
「私がこれまで見たり聞いたりしたことのなかで最も不思議なのは、人が死を恐れているということだ。死は誰も避けられない。死ぬときは、死ぬのだ」
死や死後のことについて、まったく気にしない人もいますが、大多数の人は存在の問題や来世のことを恐れています。
動物や鳥、魚たちには、死や死後のことについて悩むという問題はありません。
結 論
問題を解決するために私たちがどんな方法を用いたとしても、「自分の心を育て、利己性と欲望を減らすまでは、心が満たされることはない」ということを理解することが大切です。
お釈迦様は、「問題の性質を理解する方法」と「問題を乗り越える方法」を明確に教えられたのです。
(了)
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"Who creates problems?" by Ven. Dr. K. Sri Dhammananda Thero
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