2023/10/01

心が「善・悪」をつくる/なぜ問題を解決できないのか?「問題をつくるのは誰か?⑨」

 

諸要素とエネルギー/心のエネルギー/ものごとの本質/問題を引き起こすもの者のアドバイスに耳を傾ける「問題をつくるのは誰か?⑧」からの続き


心が「善・悪」をつくる


しかし、心をよく訓練し、理解を持って心を育てるなら、問題が起こらないよう防ぐこともできます。

お釈迦様は次のようにおっしゃっています。
 
 心はあらゆる善と悪の先駆者である。
 心が、善と悪をつくるのである。

私たちはさまざまな問題を抱えて苦しんでいます。

問題の原因は、主に妄想です。

そしてこの妄想、恐怖や無明を取り除くことができるのは、お釈迦様が説かれた真理の教えを実践することしかないのです。それ以外ほかにありません。




なぜ、問題を解決できないのか?


自分の行為の責任は自分にあることを知らない


迷信的な宗教に関わると、人は自分が受けてきた教育(理性)を賢く使えなくなります。

このことをよく理解して、心を強くし、確信を育て、何かに縋りたくなるような弱い心を取り除くよう努力することが大切です。


この弱い心を取り除くなら、多くの問題を乗り越えることができるでしょう。
たいていの場合、迷信を信じるなどの妄想の問題は消えていくでしょう。


狂信者の中には、「人に起こる良いことはすべて神が行なっている。うまくいっていないなら、それは悪魔のせいだ」と考えて、現実から逃げようとする人もいます。


仏教徒は、このような信仰には意味がないと考えています。
世の中のほとんどの人は、自分が幸せでないのはなぜか、なぜ生きることに満足しないのか、問題の責任は誰にあるのか、といったことを理解しようとしません。


お釈迦様はこのようにおっしゃいました。



 自分が行なうすべての行為の責任は、自分にある。
 自分の行為が、自分の満足と不満をつくるのである。 



外界がつくる問題


「自分に責任があり、自分に
直接影響をもたらす問題」以外にも、「人種や宗教、文化、経済などの問題」もあります。

後者の問題のほうは、人類を分離させ、差別を引き起こします。

この間接的な問題も、不満や問題を引き起こす一因となっているのです。



信仰の問題


宗教の本来の目的は、「人々が和合し、調和した生き方を育て、人間性を養い、人々を正しい方向へ導くこと」にあります。


しかし、現実は他の宗教や宗派を差別したり、嫉妬したりするために利用しているところもあるのです。

実際のところ、人類は宗教を平和を保つために使っていません。
他宗教を妨害し、憎むために使っているところがあります。
この、他宗教を敵視する態度と、堕落した宗教競争が、世界の多くの地域で流血を引き起こしているのです。


同時に、自分の迷信的な信仰を貴重な文化や伝統の一部とみなして大事に扱っている一方で、他の文化や伝統をばかにしている宗教家もいます。

「我が宗教こそ唯一絶対である」と、証拠もないのに主張する宗教家がいるのです。

そのような人たちは、政治権力や物品、優越感を獲得するために、自我を増大させているのでしょう。


財の問題


財があればあるほど問題を解決することができると考えて、億万長者になろうと懸命に働いている人もいます。


でもたとえ億万長者になったとしても、それからは予想もしていなかったさまざまな問題――心の不安や動揺、財を盗まれないよう敵から守ること、維持することの困難さ――などに直面するでしょう。


これは、「財をいくら蓄えても心の問題は解決できない」ということを明確に示しています。

財があれば問題を一部、解決することはできるでしょう。でも、財だけでは世の中の幸せをすべて獲得することはできません。
財をいくら持っていても、心の問題を取り除くことはできないのです。


知識の誤用の問題

偉大な哲学者や思想家、合理主義者は、人の心の弱さと、その乗り越え方を教えました。

しかし一般の人は、それは単なる理論であって心の問題を解決することはできない、と考えているところがあります。


ときどき、知識のある人は知識のない人よりも多くの問題を引き起こすことがあります。
それは、エゴで利己的な意見を拡大させるため、知識がさらなる問題を引き起こすのです。


善い行為をしても問題が起こる


思いやりや忍耐、寛容、正直、施しなどのような善い行為をしていても、問題が起こる場合もあります。

世の中にはズルイ人がいて、善行為をする親切な人を不当に利用しようとする人がいるのです。

したがって、善い性格も賢く使わなければならないのです。



社会福祉の問題


社会福祉の活動家たちは、人々の問題をなくそうと頑張っています。

でもいくら貢献したとしても、ある限られた問題を軽減することができるにすぎないのです。



国の政策の問題


国の財産や収益を国民に等しく分配することによって国民の問題を解決しようとする社会もあります。

しかし、その方法は人の問題を解決するためにはあまり効果的ではありません。

なぜなら、その方法は利己的で、狡猾なところがあり、怠惰やさまざまな欠点が、状況を混乱させるからです。



科学教育の問題


現代の科学教育は、世の中に平和や幸福、安全を促進させているというよりはむしろ、多くの問題を引き起こしてきました。



法律の問題


政府は、法律に従わない人を罰し、社会の平和と秩序を保とうとしています。

にもかかわらず、世界中から悪と不正がなくなることはありません。

逆に、急速に拡がっているのです。


無知な人

無知な人は、問題に対処するために魔術や超能力、マントラ、まじないなどに頼っています。でも、そのような迷信が実際どのくらい問題を解決するのか、知る人はいません。



他人を害する人


自分の問題に対処するために、他者を殺したり、破壊したり、災難を引き起こしたりする人もいます。

それは、さらなる問題を引き起こすだけなのです。


財政援助


財政的な援助を行なうことによって、人々の生活様式を改善し、問題を解決しようとする人もいます。


宗教家の問題


宗教家のなかには、天国の話をして人を誘惑したり、悪いことをすると地獄に落ちると言って人を脅す人もいます。


このように、問題を避けるためにどんな方法を使ったとしても、日々の生活の中では次から次へと新しい問題にぶつかるものです。

なぜでしょうか?

それは、ほとんどの問題の主要な原因は「心が未熟であり、利己的である」ということを理解していないからです。


(続きます)


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問題をつくるのは誰か? ➤ 目 次

Ven. Dr. K. スリダンマーナンダ長老〔著〕

出村佳子〔訳〕

"Who creates problems?" by Ven. Dr. K. Sri Dhammananda Thero

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