個人の苦しみ
苦しみを、「個人の苦しみ」と「社会の苦しみ」とに分けて考えることができます。
苦しみを抱えているのはほかでもない自分なのですから、解決するためには自分が努力する必要があるのです。
「個人の苦しみ」については、各個人が自分で自分の苦しみを解決しなければなりません。
たとえば、心臓が弱くて生死をさまよっている子供をもつ母親がいるとしましょう。母親は、子供の心臓が弱いから自分が苦しんでいる、と考えています。
しかし真理の立場から見ると、母親は「愛するものから離れたくない」という苦しみに出あっているのです。
母親はこのことを理解せずに、子供の心臓が治ったらすべてうまくいくと勘違いしています。
この勘違いしているところを治さなければなりません。
「これは愛するものから離れたくないという苦しみであり、たとえ子供の心臓が治ったとしても、また別の苦しみが生まれてくる」
ということを理解しなければならないのです。
個人の悩みに関しては個人が努力して治す必要があります。
社会の苦しみ
もう一つは、苦しみの原因は社会にあるかもしれないということです。自分に苦しみがあるのですが、その原因が社会にある場合です。
これは社会の問題です。
お釈迦さまは、さまざまな場面で王様たちに、政治、経済のあり方、社会人としての生き方などを教えていました。すごく明確に説かれた政治論や経済論もあります。
社会の問題だから自分には関係がないと考えて、黙っていてはなりません。
ジャータカ物語には、政府が腐敗しているなら国民みなで政府に抗議しなさいという物語もあります。
黙っているのではなく、皆の問題だから皆で解決しなくてはならないのです。社会の苦しみは、皆で実践するものです。
各自で真理を理解する
最終的な解決方法は、「覚ること」です。
輪廻転生を繰り返しているかぎり、いくら一時的解決策を練っても終わりがありません。ひとつ解決しても、また別の問題が必ずあらわれるのです。
ですから、最終的には輪廻の問題を解決しなければならないのです。
Paccattam veditabbo vinnuhi ti.
智慧のある人は各自で真理を理解すべきである
(了)
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法話:スマナサーラ長老
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文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように