2023/11/12

渇愛によって執着が生まれる「自由への突破口①-6」


仏教的ビッグバン「自由への突破口①-5」からの続き


渇愛によって執着が起こる


渇愛が生じると、執着( upādāna )が生じます。

これです。これが束縛なんです。もう逃げられません。渇愛から、執着が生まれます。これが今回のテーマとなるところです。


パーリ語では Taṇhā paccayā upādānaṃ と言います。

渇愛によって執着が生じます。執着が生じると、もう自由はありません。束縛されています。

犯人は、この渇きです。束縛の原因は渇愛なのです。


ですから束縛が嫌だと思うなら、渇愛とは何かを学び、それをなくさなければなりません。

渇愛をなくすと、束縛が消えるのです。

いま説明したところが、仏教の最も重要なところです。


自由への突破口 スマナサーラ長老法話


渇愛を制御する


目があると、否応なしに目に情報が触れます。これはどうしようもありません。制御できません。


耳があると、音が触れます。否応なしに感じます。誰もストップできません。


しかし、それなりの訓練、理解能力、智慧があれば、渇愛が起こらないようにすることはできます。簡単ではありませんが、渇愛は制御できるのです。


渇愛が生じたとき、執着しないようにするのは不可能です。もっと食べたい、もっと飲みたい、もっと見たい、もっと聞きたいという渇愛を持ったまま、世の中への束縛を捨てることは、ありえない話です。
ですから、「もっと欲しい」という渇愛を制御しなければならないのです。


仏教以外、世の中で誰ひとり、このことを調べようとしません。仏教の場合も、お釈迦様の教えを実践する人以外は興味がありません。みな、渇愛を強める方向で生きています。

死後、永遠の天国に行けるとか、必ず極楽浄土に往生するとか、あるいは、皆もともと覚っているから修行しなくてもいいとか、渇愛がどんどん強化する方向に話し、渇愛を弱める方向にはいかないのです


みな流れに身を任せて生きています。どんな流れかというと、渇愛の流れです。悩み苦しみの流れに身を任せて生きています。

仏教は、逆の方向に泳いで早く岸に上がりなさいと教えているのです。


(続きます)


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法話:スマナサーラ長老

自由への突破口 〜遠離から喜びが生じる ➤ 目 次

根本仏教講義 ➤ 目 次

文:出村佳子

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生きとし生けるものが幸せでありますように