2023/11/09

仏教的ビッグバン「自由への突破口①-5」

  

生きるとは休みのない作業「自由への突破口①-4」からの続き


3種類の渇愛


渇愛を分析すると、三種類になります。

一番目は、物が欲しいという渇き。「眼耳鼻舌身意」に触れる「色声香味触法」を欲しがることです。この渇きは消えません。



二番目は、生きていきたいという渇き。存在欲のことです。


生きることは瞬間の出来事ですから、いくらやっても、また頑張らなくてはいけません。絶えず頑張らなくてはいけないのです。


この存在欲は、決して消えません。

80年間生きていても、「生きていきたい」という欲が増えるのであって、減ることはありません。

死が近づいてくると、存在欲がものすごく強くなり、
それを「死ぬのは怖い」「死にたくはない」という言葉で、みんな表しているのです。

「死ぬのは怖い」と、実感として堂々と言うのですが、誰もそれは「心にある渇愛(存在欲)であることに気づかないのです。

「死ぬのは怖い」と実感すると、在欲が強くなります。

存在欲が増えるだけで、減ることと弱くなることは、自然の流れでは起きません。


三番目は、非存在欲です。ちょっと人生を見てみたら、嫌で嫌で納得がいきません。

そこで、「もっと面白くて楽しい人生はないのか」と探す人もいますが、逆に「こんなの嫌だ、きれいさっぱり処分したい」と思う人もいます。


その「嫌だ」という気持ちが、非存在欲です。これも渇愛なのです。

ときどき私たちには、「これさえなければいいのに」「あれさえなければいいのに」という気持ちが生じるでしょう。

あれが非存在欲の仲間です。


これら三種類の渇愛について、明確に理解する必要があります。

むずかしいかもしれませんが、わざと話をややこしくしているわけではありません。

この説明は、仏説の中心的なポイントである「受によって渇愛が起こる」という言葉にかかっているのです。

この一行は、解脱を目指す人々にとって、この上ないキーワードです。


ビッグバンから宇宙があらわれたように、仏教の教えも、涅槃も、解脱も、「受によって渇愛が起こる」というところから始まるのです。

これが仏教的なビッグバンです。

「受によって渇愛が起こる」というビッグバンから、輪廻という宇宙が生まれて回転するのです。


(続きます)


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法話:スマナサーラ長老

自由への突破口 〜遠離から喜びが生じる ➤ 目 次

根本仏教講義 ➤ 目 次

文:出村佳子

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生きとし生けるものが幸せでありますように