2022/04/02

五欲にたいする愛着⑥-2

なぜ恐怖があるのか「ほんものの恐怖とは?⑥-1の続き


身口意の行為が汚れている場合、森林生活は難しい


出家者は町や家から離れて、人が来ない森に入ります。

身口意の行為が汚れている場合、いわゆる身体で悪いことをし、言葉で悪いことをし、頭で悪いことを考えているなら、恐怖感を乗り越えることはできません。

修行者が修行者もどきで、偽善者なら、あまりにもの恐怖で頭がおかしくなり、狂ってしまうのです。


【根本仏教講義】ほんものの恐怖とは?スマナサーラ長老


1. abhijjhālū kāmesu tibbasarāgā
  修行者が異常欲で、五欲にたいし強烈な愛着がある


五欲にたいして強い欲のある人は、森の中で修行することはできません。

インドでは、有名なサードゥたちが修行をしています。

彼らの中にはぼろ儲けして、金持ちになり、何人もの若い女性たちに囲まれて、王様みたいに楽々に生活している人もいるのです。

彼らは修行をすることが目的ではなく、金儲けしてゴージャスに生活することを目的にして出家しています。

そのような欲が強い人は、森の中で修行することができません。

恐怖感で頭がいかれてしまうのです。


「異常欲」と「欲」


「異常欲」と「欲」を区別して理解したほうがよいのです。


「欲」とは、身体を持って生きている生命が、身体を維持管理するために欠かせないものを欲しがることです。

食べ物や水など衣食住薬は欠かせないものです。

だからといって、それにたいして欲を抱く必要はありません。

でも、一般の人は衣食住薬にたいして強い欲を抱いています。


「異常欲」とは、このリミットを超えて、いろいろなことを妄想して欲を繁殖させることです。

たとえば、やっと生活できる程度の収入しかない人が、豪華なマンションで生活したいと思って燃えているとしましょう。それは異常欲です。

映画などの作品を作るときは、現実離れの欲や怒りを掻き立てるようなストーリーを作ります。

妄想を制御しない人の心には、異常な欲と異常な怒りがあります。

もし異常欲で病んでいる人が出家して、森の中で生活し始めたら、必ず怯えて震えるはめになるのです。


そこで、もし欲がなければ、そばにクマがいたとしても、問題なく樹の下に坐っていることができます。

どこであろうと、あれを楽しみたい、これを楽しみたいという欲がなければ、恐怖感は起こらないのです。

(続きます)


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【目 次】ほんものの恐怖とは?
スマナサーラ長老 法話「ほんものの恐怖とは?」
文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように