身口意の行為が汚れている場合、森林生活は難しい
出家者は町や家から離れて、人が来ない森に入ります。
身口意の行為が汚れている場合、いわゆる身体で悪いことをし、言葉で悪いことをし、頭で悪いことを考えているなら、恐怖感を乗り越えることはできません。
修行者が修行者もどきで、偽善者なら、あまりにもの恐怖で頭がおかしくなり、狂ってしまうのです。
1. abhijjhālū kāmesu tibbasarāgā
修行者が異常欲で、五欲にたいし強烈な愛着がある
五欲にたいして強い欲のある人は、森の中で修行することはできません。
インドでは、有名なサードゥたちが修行をしています。
彼らの中にはぼろ儲けして、金持ちになり、何人もの若い女性たちに囲まれて、王様みたいに楽々に生活している人もいるのです。
彼らは修行をすることが目的ではなく、金儲けしてゴージャスに生活することを目的にして出家しています。
そのような欲が強い人は、森の中で修行することができません。
恐怖感で頭がいかれてしまうのです。
「異常欲」と「欲」
「異常欲」と「欲」を区別して理解したほうがよいのです。
「欲」とは、身体を持って生きている生命が、身体を維持管理するために欠かせないものを欲しがることです。
食べ物や水など衣食住薬は欠かせないものです。
だからといって、それにたいして欲を抱く必要はありません。
でも、一般の人は衣食住薬にたいして強い欲を抱いています。
「異常欲」とは、このリミットを超えて、いろいろなことを妄想して欲を繁殖させることです。
たとえば、やっと生活できる程度の収入しかない人が、豪華なマンションで生活したいと思って燃えているとしましょう。それは異常欲です。
映画などの作品を作るときは、現実離れの欲や怒りを掻き立てるようなストーリーを作ります。
妄想を制御しない人の心には、異常な欲と異常な怒りがあります。
もし異常欲で病んでいる人が出家して、森の中で生活し始めたら、必ず怯えて震えるはめになるのです。
そこで、もし欲がなければ、そばにクマがいたとしても、問題なく樹の下に坐っていることができます。
どこであろうと、あれを楽しみたい、これを楽しみたいという欲がなければ、恐怖感は起こらないのです。
(続きます)
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【目 次】ほんものの恐怖とは?
スマナサーラ長老 法話「ほんものの恐怖とは?」
文:出村佳子
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