無駄話の原因は感情「ブッダの聞き上手入門 ①-4」からの続き
世間話の「聞き上手」
これから仏教的な話になります。少々むずかしくなるかもしれません。
ダラダラ話していて、話が止まらない人がいるとしましょう。こちらが時計を見るしぐさを見せても、いっこうに話をやめようとしません。そういう信号を送ると、やめてほしいという意味でしょ。それはわからないんです。その人に話をやめてもらうことは大変なことです。
そこで、仏教徒として相手の話を聞くときには以下のことをチェックしてください。
1 論理的ですか?
2 証拠はありますか?
3 主観、感情、感想を話しているのですか?
4 役に立ちますか?
5 自分の知識に新たな何かを加えますか?
6 この話を聞くと自分の心が不安になり困ることになりますか?
7 ただ雰囲気をつくるためだけに話しているのですか?
8 社交辞令的に交わさなくてはいけない言葉ですか?
1.論理的ですか?
まず、論理的かどうかをチェックしてください。
感情だけだったら、論理はありません。
データに感情が混ざっている場合はバラバラで、論理があったりなかったりします。
論理的な話なら、聞くことはできます。
論理的といっても、大学の授業のような論理ではなく、日常会話でも論理的ならば聞いていられると思います。
みな、自分の話は論理的だと思っていますが、調べるとそうではありません。
ここが引っ掛けです。喋る人が、私は理性的で論理的で本当のことを喋っていると思っているんです。
でも話を聞くと、妄想で喋っていることもあります。
その場合は、論理的か感情的かと区別して聞くのです。
感情的に喋る場合は、ほとんど言葉の繰り返しになります。1つの曲を無限にリピート再生しているような状態になります。
理性と論理を入れて話すならば、毎日同じ内容を喋っても、何か新しく聞こえます。
相手の言葉が毎日同じ曲の再現のように感じるならば、自分も聞いているような顔を見せるだけでよいでしょう。
ポイント1は、論理的かどうかをチェックすることです。
(続きます)
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
根本仏教講義【目 次】
編集:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように