法話を上手に聴く順番「ブッダの聞き上手入門 ⑤-1からの続き
中部経典70(Kītāgiri sutta)
① 調べる
② 付き合ってみる
③ 付き合うと耳を傾けたくなる
④ 法を聞く
⑤ 聞いた法を憶えておく
⑥ 憶えた法の意味を調べて、観察してみる
⇒ https://sukhi-hotu.blogspot.com/2023/03/good-listener5-1.html
⑦ atthaṃ upaparikkhatodhammā nijjhānaṃ khamanti,
意味を観察すると、法について納得する
自分で調べて、「これこそ真理だ、疑いはない」と納得します。
納得することは、とても大切なステップです。
人に言われてそのままやるよりは、相手が言うことについて、自分自身でしっかり納得するならば、なんの躊躇もなく実行することができるでしょう。
「ブッダは偉いから、正等覚者だから、わからなくても信じて実行する」という立場は弱いのです。お釈迦様はすすめていません。
ですから、自分自身で納得することはとても大事なステップです。
納得したら、優柔不断は消えます。
⑧ dhammanijjhānakkhantiyā sati chando jāyati,
納得すると、意欲が起こる
これは正しいと納得できたら、意欲が起こります。
意欲とは、やってみる気持ちです。
⑨ chandajāto ussahati,
意欲が起きたら、精進する
法の内容に納得した人に、やってみようという意欲が生じるのです。
その意欲(やる気)が生じたら、精進すること、頑張ってみます。
⑩ ussāhetvā tuleti,
やってみて、精進して、比較してみる
自分の心がどこまで清らかになったのか、実践して比較します。
ただばかみたいにやるのではなく、ちゃんと比較してください。
心は善くなったのか悪くなったのか、どうなったのかと比較するのです。
お釈迦様の時代、あるお坊さんが真面目に瞑想実践していました。
でも、瞑想中、心の中に欲やら怒りやらがいろいろ出てきたので、びっくりしたのです。
「自分は仏法僧を信じ、解脱を目指して素直な気持ちで出家したのに、なぜこんなに欲や怒りの妄想ばかり出てくるのか」
と疑問が起きたという話が経典にあります。
そのお坊さんの問題は、もしかすると比較してチェックすることが甘かった可能性があります。
修行中は、うまく進んでいるか否かを比較してみなくてはいけないのです。
ここで、現代人が引き起こす問題もあります。
自分が覚っているかどうかを知りたがるのです。これは間違いです。
修行者は「覚りとはなんぞや」とわかっていないはずです。
ですから、その比較は禁止です。
自分自身の心が進んでいるかどうかは、過去の自分の心と比較してみるのです。
その場合は、比較するためのしっかりしたデータがあります。
闇雲に修行を進めるのはよくありません。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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スマナサーラ長老 法話「ブッダの「聞き上手」入門」
文:出村佳子
根本仏教講義「目 次」
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