疑(vicikicchā)とは、精神的な疑いや迷いのことです。
心があいまいで、迷ったり、疑ったりしている状態です。優柔不断といってもよいでしょう。
日常生活の中では、私たちは毎日何を食べるのか、どの服を着るのか、どこに行くのか、何をするのかなど、朝起きてから夜寝るまでのあいだ判断しなければならないことがたくさんあります。
また、人生全体では、進路はどうするのか、どこに就職するのか、誰と結婚するのかなど、節目となる決断をしなければならないときもあります。
心が優柔不断だと、決断に時間がかかり、なかなか前に進むことはできないでしょう。
仏教においては、仏にたいする疑、法にたいする疑、僧にたいする疑、修行にたいする疑、縁起にたいする疑など、疑を8つ挙げています。
(この疑は、ただ信じるのではなく、自分で確かめてしっかり確信してくださいよ、という意味です)
「疑」への対処法は何でしょうか?
疑が生じるたびに、それをありのままに見る(如理作意:yonisomanasikāra)ことです。
ありのままに見ないことが、疑を引き起こす原因となります。
まだ生まれていない疑が生まれ、すでに生まれている疑は増大していくのです。
『こころの栄養―5つの蓋と7つの悟りの要素〈五蓋と七覚支〉ありのままに見る智慧:身経』
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)より
生きとし生けるものが幸せでありますように