生き方しだいで苦しみは増減する
苦しみは誰にでもあります。
むかしの人にも現代人にも、男性にも女性にも、子供にも大人にも、金持ちにも貧しい人にも、教養のある人にもない人にも、誰にでもあるのです。
年齢、性別、生まれ、職業、地位、お金の有無、知識の有無に関係なく、すべての人に苦しみがあるのです。
苦しみは皆、平等です。
しかし、その質や量は同じではありません。
各個人の考え方や生き方によって質は異なりますし、増えたり減ったりもするのです。
苦しみは皆に共通してあるものですが、苦しみを減らすことも増やすことも、生き方次第で増減できるのです。
苦しみを解決する人・解決できない人
すべての人が苦しみを抱えているにもかかわらず、世の中には 「苦しみを解決しようとする人」と 「解決しようとしない人」がいます。
では、どのような人が「苦しみを解決しよう」とするのでしょうか?
苦しみを自覚する人たちです。
「生きることは楽ではない、苦しい、大変だ、いろいろ問題がある」
と自覚する人たちが、苦しみを解決しようと努力するのです。
たとえば子供がひきこもりになって学校に行かなくなったとしましょう。そのとき母親はすごく苦しみを感じるのです。
なんでうちの子は部屋から出てこないのか、なんで私に何も話してくれないのか、自分の育て方が悪かったのではないかと悩み、そこではじめて「何とかしたい、ではどうすればよいか」という解決方法を探すのです。
では 「苦しみを自覚しない人」は幸せなのでしょうか?
世の中には,苦しみを自覚せずに自分は幸せだと思っている人たちが結構います。
「苦しいことは気にしません。うちの子は3年間もひきこもりになっているけど、私は全然気にしていません」
と平気で言う母親もいますが、あれは幸せなのでしょうか?
実はそういう人々は治らないほど重症なのです。
気づく余裕もないという状態で、苦しみのどん底にいるのです。
怖くて恐ろしくて現実の問題や苦しみに直面することができないのです。
苦しみを受け止めることができず、問題をごまかしたり紛らわしたりすることによって人生を過ごしているのです。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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来たれ見よ (Ehipassiko) :誰でもチャレンジできる仏教実践
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法話:スマナサーラ長老
文:出村佳子
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