卓抜した天才/修行に励む行者〈ブッダに出会った人たち〉「来た見よ3-①」からの続き
●学問のないチューラ・パンタカ
2行の句も覚えられないチューラ・パンタカ(Cula Panthaka)という若者がいました。
優秀な兄のマハー・パンタカ(Mahā Panthaka)に連れられて出家したものの、学問がなかなか進みません。
出家して3ヶ月間たったのに、2行の句も覚えられず、すぐに忘れてしまうのです。
兄は弟をかわいそうに思い、ある日、
「君には仏教は向いていませんから還俗して家に帰りなさい」
と言い、チューラ・パンタカを破門にしようとしました。
このことを知ったお釈迦さまはチューラ・パンタカのところに行きました。
そして、布を一枚手渡し、
「この清浄な布に心を集中して、”汚れをふき取る” という言葉を繰り返しながら磨きなさい」
と言いました。
チューラ・パンタカはお釈迦さまに教えられたとおりに実践していると、やがて
「白い清浄な布が汚れていく」
ということに気がつきました。
さらに、
「すべてのものは変化する」
という無常の真理に目覚めたのです。
お釈迦さまは、チューラ・パンタカには難しい学問は向いていないということを知っていました。
でも、学問がないからといって悟れないわけではないのです。
そこで、彼にとって最も適した修行法方法を教えました。
チューラ・パンタカはそれを忠実に実践し、見事に悟りを開いたのです。
●便所掃除の不可触賤民
お釈迦さまは、不可触賤民(当時のインドで不浄とみなされ、社会的・経済的に大きな差別を受けた階層)にも法を説かれました。
スニータ(Sunita)やワッサカーラ(Vassakara)は不可触賤民で、便所掃除を生業とし、人々から卑しまれてきましたが、お釈迦さまはこういう人たちの出家も許可されたのです。
二人は懸命に修行し、完全なる悟りを開き、「八十人の弟子」の中に入りました。
お釈迦さまは誰であろうと差別することなく、聞く耳を持っている人には真理を説き、悟りへの道を教え、苦しみをなくしてあげたのです。
(続きます)
生きとし生けるものが幸せでありますように
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法話:スマナサーラ長老
来たれ見よ (Ehipassiko) :誰でもチャレンジできる仏教実践
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文:出村佳子
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