家族・隣人との関係/不安定な心「問題をつくるのは誰か?⑦」からの続き
諸要素とエネルギー
「世界の起源がいつかということを考えて、心を悩ませてはならない」と、お釈迦様はおっしゃいました。
そのようなことを考えても、心の問題を解決することはできません。
いまでも世界の始まりと終わりを知りたがっている人が結構いるようです。
お釈迦様が「世界の始めや終わりはいつか、ということを考えるべきではない」とおっしゃったとき、人々はその意味を理解できませんでした。
それはお釈迦様の教えが、彼らが持っている、世界の起源についての信仰と違っていたからです。
世界を観察してみてください。そして「世界」と「自分の身体」とを比較してみてください。
そうすると、身体は外部の世界と同じ、地水火風などの諸要素やエネルギー、条件が働いていることが理解できるでしょう。
唯一の違いは、人には思考することができ、存在の本質を理解することができる、ということです。
一方、世界(認識の対象)のほうは、単に諸要素とエネルギーの働きだけから成っているのです。
心のエネルギー
人の心は並外れたエネルギーを持っています。
それと同じエネルギーを、他に見つけることはできません。
しかし、この心は気ままで野生的です。
ですから心を訓練し、育て、役立つようにコントロールすることが大切なのです。
訓練しなければ、野生の心はさまざまな問題を引き起こすでしょう。
心をよく訓練して、適切に使うなら、心に調和や理解、平和が拡がっていくでしょう。
それは自分だけでなく、他の生命のためにも、多大な善い行為をすることができるのです。
ものごとの本質は「無常」
例を挙げて考えてみましょう。
巨大な滝があります。何百メートルもの高い崖の上から、水が巨大な滝となって流れ落ちています。
でも、このエネルギーは無駄になっています。
そこで、人がこのエネルギーをコントロールして、電気に変換するなら、エネルギーは非常に役立つものとなるでしょう。
ただ忘れないでいただきたいのは、いくら心をコントロールしようとも、あるいは、日々の苦しみを避けるために前もってどんな対策を講じようとも、無常の法則がこの世界のあらゆることを変化させていきます。
無常が、一切のものごとの本質なのです。
存在しているものは、世の中の諸々の条件によって変化し、消えていきます。
諸々の条件(諸要素やエネルギー)が組み合わさることによって、さまざまな対象が成り立っているのです。
私たちは対象を見たり、聞いたり、触れたりすることができます。
そのため、「対象は固定しているもので、永続的なものである」という錯覚が生まれるのです。
しかし、どんな対象も変化し、消えていきます。
「目に見える対象が、時間とともに変化して消滅する」ということは、「その対象を構成している諸要素やエネルギーが、変化して消滅している」ということです。
無常である諸要素とエネルギーが接触することによって、対象も変化するのです。
でも、エネルギーが消えることはありません。
新しい別の形になって続いていきます。
エネルギーの流れは、終わることなく延々と続いていくのです。
これが自然の現象です。
そして、あらゆる構成要素はこのように構成されているのです。
問題を引き起こすものは?
無常というものは、何か特別な唯一の存在が引き起こしているのではありません。
また、人が原罪の罰を受けているのでもありません。
仏教徒は、無常を「自然の現象」とみなしています。
でも、多くの人々は「問題」だと考えているようです。なぜでしょうか?
それは、変化や無常は彼らの「永遠に生きていきたい」という願望を壊し、失望させるからです。
心に不満が生じます。
天国など何処かに永遠の境地がある、と信じたときから、人生に不満が生じるのです。
また、自然のエネルギーの影響を受けて、心に問題が起こることもあります。
私たちの身体は、自然の諸要素の一部です。自然のエネルギーは、身体の諸要素に影響を与えています。
その影響のために、身体と心に問題が生じている場合もあるのです。
目に見えない何らかの未知の力も、私たちの生活を妨げていることがあります。
それを、悪霊が引き起こしているのではないかと考える人もいます。
そのような邪見(間違った考え)のせいで、恐怖や妄想、疑惑、迷信などが増大します。
心が不安になると、身体に痛みを感じるのです。
(続きます)
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出村佳子〔訳〕
"Who creates problems?" by Ven. Dr. K. Sri Dhammananda Thero
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