1. 能力がある(sakko)
どんな習慣であれ、善い習慣を身につけるためには、チャレンジが欠かせません。努力が必要なのです。
でも、感情がどうしても先立ってしまい、感情に負けてしまうことが多々あります。
たとえば、「怒ることはよくない、誰にたいしても慈しみで接したほうがいい」ということは、みなさんよくご存じだと思います。
でも、実際に何かイヤなことがあったとき、腹が立ち、怒りをそのまま言葉や行動に表わしていませんか?
嫉妬することはよくないことだと知っていますが、実際に嫉妬がわき起こったとき、嫉妬にとらわれ、嫉妬から脱け出せなくなることがありませんか?
そこなのです。
そこで、私たちがすべきことは、苦しみをもたらす感情から離れるようチャレンジすることです。
瞑想しているときだけでなく、職場にいるときでも、家庭にいるときでも、どこにいるときでも、日常生活のなかで感情が生じたとき、それにすぐに気づき、観察して、とらわれないようにするのです。
心を清らかにするためには、精進(viriya)が欠かせません。
もし精進せず、実践もしなければ、いくら仏教を学んでも、学問としての知識に留まるだけでしょう。
学んだことを実生活に活かすことはできません。
知識を得るだけで実践しなければ、現実の生き方が改善することはなく、向上することもありません。
机上の学問は、現実の人生ではないのですから――。
したがって、日々、慈悲を実践し、育てる努力をすることは、欠かせないことなのです。
では、「慈悲喜捨」とはどのようなものかを簡単にご説明しましょう。
『慈経に学ぶ〈15の善習慣〉と〈10の善行為〉』
「15の善習慣 1. 能力がある(sakko)」より
チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)