3つの感覚「自由への突破口②-3」からの続き
感覚(楽・苦・不苦不楽)にたいする例外もある
在家のヴィサーカ居士が次にこう質問しました。
「すべての感覚を戒めるべきですか?」
ダンマディンナー長老尼は答えます。
「いえ、例外があります。苦の感覚、楽の感覚、不苦不楽の感覚の場合、欲、怒り、無知をなくすべきです。しかし、サマーディから生まれる楽の感覚は例外です」
瞑想して集中力が生まれてくると、サマーディが生じます。世の中では味わえない桁違いの楽しみが生まれてくるのです。これはものすごいエネルギーです。
長老尼は、「その感覚は放っておいてください」と説かれます。なぜならサマーディが生まれたのは、煩悩をいくらか抑えたからです。
サマーディ瞑想から生まれる楽の感覚を戒める必要はありません。その感覚から煩悩が生まれることは稀です。
釈尊の教えに従って瞑想する人であるならば、サマーディから生じる楽の感覚から煩悩は生まれません。
それは例外である、とダンマディンナー長老尼が説くのです。
「心を清らかにしよう、向上しよう、解脱に達しよう」と思うとき、苦を感じる
仏道を歩んでいる人は瞑想したり修行したりします。
上を目指そうと思えば思うほど、「これではダメだ。このままではいけない。心を成長させなくては。集中力をもっとあげなければ。解脱に達しなければ。悟らなければ」と思うでしょ。
そうすると苦しいんです。苦を感じるのです。
しかし、その苦の感覚も例外です。
なぜなら、その思考から煩悩は生じないからです。この人は煩悩をなくそうと頑張っています。
ですから、この苦しみも戒める必要のない苦しみなので、例外です。
禅定から生まれる「不苦不楽」
禅定にはランクがあります。
第1のランクに達すると、ものすごい楽しみが生まれます。楽しくてたまらなくなります。
第2のランクに達すると、楽しみが減って喜悦感が生まれます。
第3のランクに達すると、喜悦感が減って楽の感覚が生まれます。
第4のランクに達すると、苦も楽もない不苦不楽の状態が生まれます。その不苦不楽の感覚も例外です。
煩悩がかなり抑えられ、煩悩から離れていますから、この感覚を戒める必要はありません。例外です。
このヴィサーカ居士とダンマディンナー長老尼の対話は、中部経典のCūḷayamakavaggo のCūḷavedallasuttaṃ に入っています。
(続きます)
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法話:スマナサーラ長老
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文:出村佳子
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生きとし生けるものが幸せでありますように