2024/04/20

依存し合う〈心〉と〈身体〉『身体の苦しみの手放しかた:輪廻からの解放へ』

 

互いに依存し合う〈心〉と〈身体〉


私たちの「心」と「身体」は、どのように成り立っているのでしょうか?


ブッダは、「心と身体を分離することはできない」とおっしゃいました。

身体は心なしで成り立つことができませんし、心は身体なしで成り立つことができません。

心と身体は、互いに依存し合って働き、成り立っているのです。





では、「私(自己)」とは何でしょうか?

心のことでしょうか?

身体のことでしょうか?


心(nāma)は「私」ではありませんし、身体(rūpa)も「私」ではありません。

心も身体も実体的な「私」ではないのです。

したがって、「私」と呼ばれるものにも実体はありません。


「私」とは、心の諸要素と身体の諸要素が組み合わさって、一時的に成り立っているものにすぎません。

私たちはそれを「私」と呼んでいるにすぎないのです。


では、なぜ「実体がない」と言えるのでしょうか?


それは、心はつねに変化し、身体もつねに変化しつづけているからです。

変化しないものは、どこにもありません。


「私」というものは、つねに変化しつづけていますから、固定した実体でも、永遠なる自己でもありません。魂でも、我(が)でもないのです。


しかし、人はなかなかこの真理をあるがままに見ることができません

なぜでしょうか?


それは、「私」や「私の身体」にたいして執着しているからです。


『身体の苦しみの手放しかた:輪廻からの解放へ
Nandivisāla Sutta(ナンディウィサーラ経)』
より

チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)

『身体の苦しみの手放しかた:ナンディウィサーラ経』 チャンディマ・ガンゴダウィラ長老(著)