2024/06/12

女性が得た真の自由「仏教から見る女性⑦」

     

愛する人を亡くした女性へのアドバイス「仏教から見る女性⑥」から続きます。


女性が得た真の自由



ブッダが法(ダンマ)を説き始めてから数年後、比丘尼サンガ(尼僧の僧団)が設立されました。このとき女性にたいして、出家の自由という新しい道が切り開かれたのです。



比丘尼サンガは、すばらしい成功を収めました。法を学び、修行に励む、多くの優れた比丘尼が現れたのです。そして仏教は世界の中でも非常に高い地位を得ました。仏教の重要な経典の一つであるテーリー・ガーター(長老尼偈)には、個々の長老尼による詩偈が集成されています。


ブッダは、比丘尼が法(ダンマ)を説くことに何の制限も加えませんでした。そのため比丘尼の中からは、スカー(Sukha)、パターチャーラー(Patacara)、ケーマー (Khema )、ダンマディンナー ( Dhammadinna)、そして、ブッダの養母であるマハーパジャーパティー(Mahapajapati)など、多くの才知に長けた説法師が現れました。


バラモン人のあいだでは、先祖供養を執りおこなう息子だけが重要視されていましたが、仏教はその見解を断じて認めず、娘は息子と同等であると見なしました。


また女性の結婚も、もはや絶対的な義務ではなくなりました。仏教徒の女性は独立して自らの道を歩む自由を獲得したのです。


ブッダが女性の出家を受け入れたことは、出家した女性だけでなく、一般社会で生活する女性の地位向上にも役立ちました。


しかしながら比丘尼サンガはある時期にあまりにも進歩しすぎたため、短期間で滅びてしまいました。


人々の思想が急激に進歩したり発達して、社会に革新や改善が起こるときはいつでも、世間の人々はその改善された状況に適応することができず、慣れ親しんでいた元の社会に逆戻りしようとする傾向があります。


当時の人々も、比丘尼サンガという新しい状況に馴染むことができなかったのです。


またカースト制度を制定したバラモン人による悪意のあるプロパガンダも、比丘尼サンガを衰退させた主要な原因のひとつです。


スリランカの比丘尼サンガは、紀元1017年、マヒンダ王4世(King Mahinda IV)が国を治めていた頃まで繁栄していましたが、その後、消滅し、再び復活することはありませんでした。


しかしスリランカの尼僧たちは中国に比丘尼サンガを伝えていたため、現在でも中国、それから日本にも、尼僧の僧団が存続しているのです。


しかしながら大乗仏教という伝統のもとで、尼僧たちの地位は低く、男性の僧侶と同等の立場に置かれていないのが現状です。

(続きます)


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K. スリダンマーナンダ長老(著)

仏教から見る女性 ➤ 目 次

出村佳子(訳)

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生きとし生けるものが幸せでありますように