2024/12/25

「私」とは誰か?➃

 「私」とは誰か?③ からの続き


「自分」はどうやって生まれるのか?


自分の戦いを発見する前に、私たちは「自分とはどうやって生まれるのか?」を理解しなければならないのです。

自分とは、限りなく生まれるものです。そのプロセスを調べなければいけません。それで「自分、自分」という幻覚が消えるのです。そうなったら戦いがないのです。




その人はもう人間ではありません。もう生命ではない。聖者なのです。すべての勝負に打ち勝っているのです。競争・戦いはないのです。だから仏教の涅槃には、至上の安穏とも言うし、最高の幸福とも言うし、解脱とも言うのです。

皆様のイメージする幸福は、仏教的には「最高の幸福」ではないのです。あれは戦いの結果として得られる、一時的な結果です。束の間の勝利に過ぎません。すぐに負けるのです。俗世間的な幸福を感じて、この気持でずっといたいと思っても、それはありえないことです。

そういうことで、物質世界でも反対のエネルギーがないと成り立たないし、精神的な世界でもそれぞれの反対エネルギーがあって、システムが成り立っています。

話が難しくなりましたからここでやめますが、皆様は瞑想しながら「自分」という実感がどのように生まれるのかと調べてください。自分という実感でしょうか、ただの実感でしょうか、何にたいして実感というのか、と。

瞑想を教えるとき私は「実況中継してください。妄想をやめてください」と言います。でも、なかなか誰もやめてくれません。だから、瞑想しながら瞑想に逆らう自分がいるのです。瞑想実践を潰してしまう自分がいるのです。残念ながら、だいたいは瞑想を潰したい自分が勝ってしまうのですね。


【質疑応答】


「私」と呼べるものはあるか?


 以前、「私」と呼べるものはあるかと頭の天辺から足の爪先まで調べました。心についても「私」と呼べるものはあるのかと調べました。それで安穏を、安らぎを感じました。このような方法でよろしいでしょうか?


 それは言葉ですからね。言葉はいくらでも変えられます。今日の説法から言えば、自分の中で主語が消えたら安穏なのです。また現れる恐れがあるのならば、集中してさらに実験しなくてはいけません。集中して徹底的に100パーセントのデータをとって、結論が自動的に「私がいないということは当たり前だ」と。これがものすごくしっかりするまで頑張らなくてはいけないです。心配があるならば頑張った方がいいと思います。私に言えるのはこれだけです。


知識で頑張っても「私がいない」ということは分かるのです。知識はちょっとやばいのです。悪くはないのです。知識で頑張って私がいないと発見しても安らぎを感じますが、だんだん時間が経つと知らないうちに細菌が出てきて、また「私」を作る可能性があります。それはステージがあるのです。「私ではない」という発見にたくさんのステージがありますから、そのために我々は実践方法を教えているのです。


最終的には、すべての現象が一時的で、私だけではなく一切現象が一時的で、生じて滅する、これだけしかない、と発見する。これは知識で分かるということではありません。発見するとプログラムは終わりです。ご自分でそういうふうに調べてみてください。


安全な「自分」


 事業を起こしたいと思っています。どういう覚悟でやっていったらよいでしょうか?


 事業を起こすということも、一時的な自分なのです。自分とは、自分の都合しか考えられない妄想概念です。ですから、自分が起こす事業によって、どれぐらい人の役に立つのかとチェックしたほうがよいのです。他人の役に立つポイントを明確に発見して、それを目的にして事業を起こしたほうがよいのです。要するに、自分も他人も幸せになる方法なら、何の躊躇もなく活動を開始したほうがよいということです。

ここであなたは、複数の自分と戦っているように見えます。そうすると、やるかやめるかというジレンマに嵌ります。だから、どちらかの自分に勝利をあげなくてはいけないのです。それは仏道ではありませんが。

お釈迦様がおっしゃっている「安全な自分」というのは、他人の役に立つ自分を強くするのです。儲けたい自分など汚い自分を抑えておいて、人々の役に立つ、人類の役に立つことをやります、という自分を強くするのです。

それで儲かりたい自分も、他人を潰したい自分も抑えておきます。そうすると、あまりトラブルが起こりません。

お釈迦様の時代、仏教に興味を持った人々はほとんど最初から豊かな人々でした。財産があるから社会でも認められているし、そういう人々が仏教徒になったことで仏教がいくらか知られるようになりました。

昔の金持ちというのは仕事をしないのです。使用人が苦労して仕事をし、自分は儲けるだけで仕事をしない。だから哲学的なことを考える暇があったのです。科学研究や発明など結構イギリスで起きたでしょう。かなりイギリスでされた発明があります。そういう発明をした人々は金持ちが多いのです。財産を持っていても、それに耽ってだらしない人間になるよりは、財産を使って何かしようではないかと考えるのです。

アメリカの発明家エジソンとは立場が違います。エジソンは一般人の家庭に生まれましたが、「これって面白い、これは役に立つのでは」ということで頑張って成功しましたね。イギリスの場合、いろいろな発見をした科学者や発明家はよく見ると、みんな金持ちなのです。

金持ちではない、一般的な生活をしていて事業を起こしたいという方々にとっては、人生は大変になり、ハチャメチャ苦しむ羽目になります。結局、事業が成功したとしても何の幸せも感じなくなるでしょう。

それならば、具体的に人類の役に立つことを考えた方が、たとえ事業が苦しくても、同時に「よいことをやっているんだ」という楽しみが生まれます。助かる方法はそれしかないのです。

(続きます)


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法話:スマナサーラ長老

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文:出村佳子

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