人類の歴史は、貪欲、憎悪、傲慢、嫉妬、わがまま、妄想などが 絶え間なく表面化してきた混乱の現れです。過去3000年間に 人類は大きな戦争を 15000ほど起こしたと言われています。
戦うことは 人間の特性なのでしょうか? 何のために戦うのでしょうか? 人間はなぜ同じ仲間である人間を殺すのでしょうか?
私たちは、攻撃性という本能に従うべきではありません。
そうではなく 幸せになるために、賢者が説く智慧の教えに耳を傾け、道徳的な行為をとるべきです。
~スリダンマーナンダ長老
2010/11/01
2010/10/24
自ら励みなさい
よく、このような質問を受けます。
「自分の心に慈悲を育てたら、他人の痛みや苦しみ、憎しみを取り除くことができますか?」
お釈迦さまですら、他の人にたいして 「やすらかで幸せになりますように」と願うだけでは、その人の痛みや苦しみを取り除くことはできませんでした。
お釈迦さまはこのようにおっしゃいました。
あなた方は解脱するために
自ら励みなさい。
ブッダは法を説くだけである。
グナラタナ長老
「自分の心に慈悲を育てたら、他人の痛みや苦しみ、憎しみを取り除くことができますか?」
お釈迦さまですら、他の人にたいして 「やすらかで幸せになりますように」と願うだけでは、その人の痛みや苦しみを取り除くことはできませんでした。
お釈迦さまはこのようにおっしゃいました。
あなた方は解脱するために
自ら励みなさい。
ブッダは法を説くだけである。
グナラタナ長老
2010/10/21
2010/10/17
「他者に尽くす」とは
「他者に尽くす」ということは、
自分を犠牲にして 自分ができる以上のことをやることだ
と多くの人が考えています。
しかし、これは事実ではありません。
なぜなら、どんなことも
「どんな心で尽くすか」という その人の気持ちや
どのくらい「無私の心」を育てているか、ということで決まるからです。
~スリダンマナンダ長老
自分を犠牲にして 自分ができる以上のことをやることだ
と多くの人が考えています。
しかし、これは事実ではありません。
なぜなら、どんなことも
「どんな心で尽くすか」という その人の気持ちや
どのくらい「無私の心」を育てているか、ということで決まるからです。
~スリダンマナンダ長老
2010/09/30
2010/09/25
瞑想をすると・・・
瞑想をすると、心も身体も 自然にリラックスします。
そして 煩悩は消えていきます。
眠気や睡魔は 注意深さに換わり、
曖昧さや優柔不断は 確信に換わります。
怒りや憎しみは 喜びに換わり、
不安や悩みは 幸福に換わります。
そして潜在意識に埋もれていた慈しみが表面にあらわれ、
それによって 私たちは より穏やかで幸せになるのです。
~グナラタナ長老
そして 煩悩は消えていきます。
眠気や睡魔は 注意深さに換わり、
曖昧さや優柔不断は 確信に換わります。
怒りや憎しみは 喜びに換わり、
不安や悩みは 幸福に換わります。
そして潜在意識に埋もれていた慈しみが表面にあらわれ、
それによって 私たちは より穏やかで幸せになるのです。
~グナラタナ長老
2010/09/18
心が清らかな人を非難する人・・・
心が清らかな人を非難する人は、
天に向かって唾を吐くようなものです。
唾は天を汚さず、唾を吐いた人を汚します。
他人の悪口を言う人は、
向かい風に向かって塵を投げるようなものです。
投げた塵は、投げた人に降りかかります。
心が清らかな人を傷つけることはできません。
苦しみは、悪口を言った人に戻ります。
~スリダンマナンダ長老
天に向かって唾を吐くようなものです。
唾は天を汚さず、唾を吐いた人を汚します。
他人の悪口を言う人は、
向かい風に向かって塵を投げるようなものです。
投げた塵は、投げた人に降りかかります。
心が清らかな人を傷つけることはできません。
苦しみは、悪口を言った人に戻ります。
~スリダンマナンダ長老
2010/09/12
自分の苦しみは・・・
自分に生じている苦しみは、自分の責任です。
何かにたいして いらだったり いやな気持ちになったりすれば、
自分の心に 苦しみが生まれます。
ですから、世界が悪いのではなく、
いやな気持ちになった自分が悪い
ということを 理解してください。
~スリダンマナンダ長老
何かにたいして いらだったり いやな気持ちになったりすれば、
自分の心に 苦しみが生まれます。
ですから、世界が悪いのではなく、
いやな気持ちになった自分が悪い
ということを 理解してください。
~スリダンマナンダ長老
2010/09/04
自分が一番愛おしい
全世界のどこを探しても、
自分より愛しい人を見つけることはできません。
自分が 他の誰よりも愛おしい。
そのように、他の生命も 自分のことが いちばん愛おしい。
それゆえ、自分を愛する者は 他の者を害してはなりません。
自分より愛しい人を見つけることはできません。
自分が 他の誰よりも愛おしい。
そのように、他の生命も 自分のことが いちばん愛おしい。
それゆえ、自分を愛する者は 他の者を害してはなりません。