マハーナーマ経
多くの方が仏法僧を信じていますし、戒律も守っています。
でも「あなたの信は確かですか? 揺らがないですか?」
と聞くと、「私はちょっと自信がありません……」と言う人がほとんどです。
もし、いかなる場合でも「私の仏法僧にたいする信は変わらない」という自信があり、「誰に、どんなに誘惑されても、私は戒律を破りません」という決意があるなら、預流果です。
この「破るはずがない」という堅固な信、それがあれば預流果なのです。
「状況によって、どうするかわかりません。破るかもしれません……」というのは、なさけない生き方です。「今日は嘘をつきませんが、明日はわかりません。時と場合によって嘘をつくこともあります……」と言うならば、人格的にはまだまだしっかりしてないということです。
人格者というのは「破りません」と、はっきり決まっているのです。
預流果に覚っているなら、「仏法僧にたいする信」が揺らぐはずがありません。
戒律に関しても、誰に何を言われても、「絶対に破りません」という堂々たる態度です。
恐い上司に脅されても、「私はやりません」と、はっきりしています。
では、殺されそうになったら?
冗談じゃない。たとえ自分が殺されそうなっても、戒律を破ることはありません。
そのぐらい堅固な確信があり、そのように生きているなら、預流果の境地なのです。
預流果に覚ったら、解脱は確定です。
堕落することはありません。
地獄に落ちることも決してないのです。
天界など幸福な次元に生まれ変わるのですが、どこに生まれ変わっても解脱の方へ引かれ、解脱の方へ進んでいきます。
ですから、仏教徒は誰でも「預流果に覚ること」を目指して頑張るのです。